第57回 国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール

参加者の皆さんと審査員

- 第57回(平成22年度)入賞者発表 -

受賞者/演題
外務大臣賞 桐蔭学園中等教育学校 小畠 一真さん
「核兵器のない世界に向けて国連がすべきこと」
法務大臣賞 宮崎県立宮崎西高等学校 壹岐 明莉さん
「日本は国連で何をすべきか」
文部科学大臣賞 共愛学園高等学校 蜂谷 由梨奈さん
「日本は国連で何をすべきか」
財団法人
日本国際連合協会会長賞
富山県立中央農業高等学校 小林 健さん
「世界から貧困をなくすために国連がすべきこと - ナーセリー! -」
全国人権擁護委員連合会
会長賞
大分県立佐伯鶴城高等学校 伊東 香菜子さん
「日本は国連で何をすべきか - 若者から声を-」
社団法人
日本ユネスコ協会連盟会長賞
京都教育大学附属高等学校 大前 瞭太さん
「世界から貧困をなくすために国連がすべきこと」
日本ユネスコ
国内委員会会長賞
岩手県立盛岡第三高等学校 佐々木 千穂さん
「世界から貧困をなくすために国連がすべきこと」
財団法人
安達峰一郎記念財団賞
フェリス女学院高等学校 高松 奈々さん
「核兵器のない世界に向けて国連がすべきこと」
日本放送協会会長賞 島根県立矢上高等学校 西田 光希さん
「日本は国連で何をすべきか - 生物多様性の観点から -」
国連広報センター賞 仙台白百合学園高等学校 石川 澪さん
「世界から貧困をなくすために国連がすべきこと -私達はつながっていたい-」

入賞作品紹介

「核兵器のない世界に向けて国連がすべきこと」

外務大臣賞
東京都 桐蔭学園中等教育学校 5年
小畠 一真さん

カザフスタンで今から約20年前に生まれた歌があります。

逞しい男たちよ どこへ
優しき乙女たちよ どこへ
優しさが失われた あの時
時代 時代
清き命は失われ 還らぬあの大地
かつての自由は奪われ 悲しみに変わった
大地は核の閃光に目を開けられないだろう

これは、カザフスタンのセミパラチンスク州の人々の、悲しみの鎮魂歌「ザマナイ」です。この歌を聴いた時、心の奥底からこみあげるような深い怒りと苦しみが私の心に響きました。

旧ソ連の支配下にあったその時代、セミパラチンスクでは、40年間に450回にも及ぶ核実験が行われ、被爆した人は120万人にのぼって、周辺の村では人々が次々と癌や白血病にかかりました。

しかし、やがて彼らは立ち上がりました。自分たちを苦しめる核実験場の廃止を求めて被爆者たちが声をあげ、デモや抗議集会がカザフスタン全土で起こりました。

けれども、自分たちだけの力では核実験は止められない・・・そう悟ったカラウル村の住民の1人タルガット・スリャムベコフさんは、アメリカの被爆者にも呼びかけ、ここに国境をこえた被爆者の連帯が実現、ついに1991年にソ連のセミパラチンスク核実験場は閉鎖されたのです。

こうした被爆者たちの運動の中でうまれた歌、日本語で「時代」を意味する「ザマナイ」を、今年2月、私は「APECジュニア会議IN広島2010」に参加した機会に知りました。初めての広島訪問で私はいろいろなことを学び、知り、感じました。

被爆者語り部の会・会長の松島さんから伺った話は、被爆時に学校の教室の北側にいたか南側にいたかで生死が分けられたという、ショッキングなものでした。松島さんの口調はゆっくりと静かでありながら、「伝えよう」とする強い気持ちが感じられました。

また、詩人のアーサー・ビナードさんは講演の中で「”History Repeats Itself”『歴史は繰り返す』とあるが、実は、”History gets Repeated” 『歴史は繰り返される』のだ。」という話を聞かせて下さり、私は「まさしくその通り、我々人類は過ちを繰り返してはならないのだ」と改めて強く意識しました。

原爆投下から65年、昨年4月に「核なき世界を目指す」と宣言したアメリカのオバマ大統領のプラハ演説に続き、今年8月6日には広島を訪れた潘基文国連事務総長が講演で「グラウンド・ゼロからグローバル・ゼロへ」を提唱され、「核兵器廃絶は難しいことだが不可能ではない」とおっしゃいました。

「核なき世界」を実現しようという機運が以前にも増して高まりを見せ始めた今、さらに多くの人々に核の脅威について知ってもらう為に、国連はより活発な広報活動を各国によびかけてはどうでしょうか。

APECジュニア会議で私が出会った海外の参加者たちも、原爆投下の事実は知っていても、平和資料館の展示を見て初めて被害の実態を知り大変衝撃を受けた様子でした。

また、私は9歳までアメリカで暮らした経験がありますが、家に遊びに来た友人たちがオモチャの飛行機を使って原爆を落とすマネをする遊びをしているの見て驚いた覚えがあります。

立場が異なればどうのように歴史を学び、また「核」というものについてどう教わっているかわからない、しかし人類は「平和」のためにヒトとして同じ目線で核廃絶を考えていかなければならないと私は思います。

そのためにはまず、「核の恐ろしさ」を世界中の人々に知ってもらうことが大切です。特に若い世代には理解の手助けになるような万国共通の教材のようなものを国連の指導のもとで作成し、各国の教育プログラムの中に取り入れるようにしてはどうかと思います。

世界には、まだまだ核兵器の惨禍を知らない人が沢山います。

また、核に苦しめられている人々が日本だけでなく、カザフスタンやフランス領ポリネシア、マーシャル諸島のビキニ環礁にもいるのだという事実を知る人も多くありません。 知らなければ何もできない。この「知らせる」活動を国連がもっと後押ししてさらに力を合わせて一緒に核廃絶に取り組もう、という気持ちを高めてほしいと願っています。

世界の国々というオーケストラが美しい音楽を奏でられるよう、「連帯」することを国連が指揮するのです。

最近、ある人から聞いて、心に残った言葉があります。

「1人の百歩より、百人の一歩の方が重い。」

一つの国だけで努力するよりも、国と国とが連帯すれば、できないと思ったことも可能になります。

カザフスタンの人々が「連帯」して核実験場の廃止に成功した時のように。

「日本は国連で何をすべきか」

法務大臣賞
宮崎県立宮崎西高等学校 1年
壱岐 明莉さん

「あなたに、会いたかった。」

中学2年生の夏、私は一人の友達との出会いを失いました。面識はありません。ですから、友達とはいえないかもしれません。でも、通じない言葉の壁を超えて伝わるものがありました。

宮崎市姉妹都市交流団員として派遣されるはずだった、観光、報恩郡。受け入れ先のホストファミリーには、私と同じ年の女の子がいました。初めてのパスポートや、韓国語のガイドブックに心を弾ませ、出発の日を心待ちにしていたときです。連日の報道で、竹島の領土問題による日韓関係悪化のニュースが目立ち始めました。日を追うごとにエスカレートしていく半日感情に不安を感じ始めた頃、最も恐れていた連絡が来ました。報恩郡が、私たちの受け入れを拒否したのです。

こんなに近い国なのに、どうして仲良くできないんだろう。どんな家族が私を待っていてくれたんだろう。それとも、もう日本人と言うだけで、嫌われてしまったのかな。あのときの、いいようのない悔しさ、怒り、喪失感を忘れることはできません。国家レベルの問題に対し、私たちはあまりに無力でした。立ちはだかる壁のあまりの大きさに、立ちすくむことしかできませんでした。

しかしその後届いた彼女からのプロフィールを見て、心がつながっていたことを知りました。

「あなたに会いたかった。」

これが、私たちの想いでした。両国を隔てる大きな壁を越えた想いでした。

本当の交流、親善とは何でしょうか。明確な答えを見つけるのは、とても難しいことです。しかし、私は思います。関係が良好な時、都合のよい時に仲良くしましょう、というのではなく、壁を取り払うためにこそ「交流」は存在する。二国間が緊張状態にある、その時にこそ「親善」が必要なのだと。

あれから2年が経過しましたが、問題は解決するどころか、悪化の一途をたどっているように思えます。現在、中国と尖閣諸島問題で緊張が高まっていますが、日本政府は「領土問題は存在しない」という主張を繰り返すばかりです。現在のままではたとえ問題の解決を見たとしても、それは別の問題へと形を変えるだけで、結局真の問題解決にはなりえません。積極的な話し合いの場をもつのはもちろんですが、そのために交流、親善活動が行われないというのは本末転倒です。むしろその積極的な推進こそが、話し合いを円滑に進めることになると思います。日本が国連という場において為すべきことは、交流・親善を主体とした領土問題への新たなアプローチです。武力や政治的圧力に頼らない、真に平和的な解決方法としての、そのロードマップを、先頭に立って世界に示すことができると考えます。

国家間の大きな問題で悲しむのは、いつも、多くの弱い立場の人です。しかし本当に平和を求めるのもそのような悲しみを知っている人々ではないでしょうか。

まずは、弱い立場の人々の平和を願う声を傾けてください。「平和」という言葉の重みを、本当の意味を考え、求める若い人たちが、大勢います。そのような若者の一員として、伝えたいと思います。私は将来、報道の仕事に就くのが夢です。この経験から得た悲しさと痛み。初めて感じた国家間の壁。私たち若者の想い。たくさんの人に世界中の「真実」を伝える人になりたい。力のある、世界を動かす人たちに、弱い立場の人の声を届けたい。高校生としてできることはとても限られているけれど、それでも誰かに伝えたいと強く思っています。

眼の色が違う。肌の色が違う。暮らし方が違う。その違いを尊重し、素晴らしいと思えることが、目指す世界への鍵となると思います。

一度失った出会いが教えてくれた平和の意味。長く続いてきた多くの悲しみの連鎖を断ち切るために、日本という国ができることは決して少なくありません。いつか彼女と私が笑って出会える日が来るように。世界中の壁がなくなる日が来るように。それが遠くない未来であることを信じています。

「日本は国連で何をすべきか」

文部科学大臣賞
群馬県 共愛学園高等学校 3年
蜂谷 由梨奈

今年の八月十六日、私はグラウンドゼロに立っていました。正確に言えば、グラウンドゼロの向かいのビルの二階から工事中のグラウンドゼロを見つめていたのです。二〇〇一年九月十一日、ここに立っていた二つの世界貿易センタービルは同時多発テロの攻撃を受けて、崩壊をしていまいました。多くの犠牲者を出したのです。多くの尊い生命がここで奪われたのです。私は、日本人でも他の外国人でも、優しい心を持っていると思います。しかし、地球上では今なお争いが続いているのです。グラウンドゼロはその象徴のように思えました。私は、このグラウンドゼロを後にして、国際連合本部を訪れました。ここで、私は「日本は国連で何をすべきか」の答えを追求したいと考えたのです。

国連では、八項目からなる国連ミレニアム開発計画の説明を受けました。このミレニアム開発計画は、平和と安全、開発と貧困、環境、人権とグッド・ガバナンス(良い統治)、アフリカの特別なニーズなどを課題として掲げ、二十一世紀の国連の役割に関する明確な方向性を提示しています。そして、国連ミレニアム宣言と1990年代に開催された主要な国際会議やサミットで採択された国際開発目標を統合し、一つの共通の枠組みとしてまとめられたものがミレニアム開発目標です。

私は、国連職員の説明を聞きながら、この国連ミレニアム開発計画を世界中の国々が守り実行すれば、必ず世界中から貧困や差別がなくなると確信しました。

国連では、本会議場をはじめ、国連本部内の他のブースでの説明も受けました。その中に、広島や長崎の原爆の被害を伝えるコーナーがありました。しかし、原爆の悲惨さを伝えるには決して十分とはいえる資料ではありませんでした。もっと沢山資料を展示し、原爆が多くの尊い命を奪う、地球上には存在してはいけない恐ろしい武器であることを伝える必要があると私は実感しました。私は、以前長崎にも、広島にも訪れたことがあります。長崎でも広島でも、被爆された方が、語り部となって原爆の悲惨さを伝える取組が行われていました。これまで原爆の悲惨さを知っていたつもりでしたが、被爆された方から直接お話しお聞きし、原爆の恐ろしさをあらためて思い知らされました。私は「日本は国連で何をすべきか」を考えた時に、まず日本は日本でした経験していない、この原爆の恐ろしさを世界に伝えることだと思いました。「核兵器のない世界」に向けて国連がすべきことは、この原爆の恐ろしさを世界に伝えることだと思ったのです。核兵器の存在は世界の脅威です。国連は、少なくても一年に一度、被爆した広島や長崎の悲惨な状況を伝える日を設定すべきだと私は提案したいのです。長崎では、毎年原爆が投下された日、投下された時刻にサイレンを鳴らします。このサイレンの音を合図に原爆で犠牲になられた皆様に黙祷を捧げているのです。私は、国際連合本部からサイレンでなくてもいい、何か合図の音が流され、世界中の人々が黙祷を捧げることが、地球上から核兵器をなくす大きな第一歩であり、日本が国連ですべきことであると提案したいのです。世界中から争いをなくし、貧困をなくす、第一歩でもあると私は主張したいのです。

「世界から貧困をなくすために国連がすべきこと」~ナーセリー!~

財団法人日本国際連合協会会長賞
富山県立中央農業高等学校 バイオ技術科3年
小林 健 さん

その男の子は悲しそうな顔をしていました。
その女の子はうつろな目をしていました。
ある授業の中で目にした発展途上国の子ども達の姿。
世界には貧困の中で生きている人たちがたくさんいます。

「3秒に1人、この世界中のどこかで、子供達が命を落としている」と国連開発計画は警告します。貧困の中で暮らす人々は、日々の食事すらとることができない状況にあり、十分な治療を受けることができません。

3秒に1人・・・。

その命はお金があれば救える命だったのです。

私は現在保育士を目指し、努力しています。子供が大好きな私にとって、貧困により苦しんでいる子供達の姿は衝撃的であり、頭から離れませんでした。

子供達を救いたい!そう思ったものの、簡単には答えはでません。

そんなとき、県内にもNPO法人「地球の夢」という団体がフィリピンやスリランカの貧困層の子供たちに支援を行っていることを知りました。私たちにも何かできないか、という思いから、富山県の農業科高校6校で協力し、書き損じはがきや未使用切手の収集を行う活動に取り組み寄付しました。「地球の夢」は現地の幼稚園の再建にも取り組んでいます。国際協力、といっても様々な活動がありますが、子供が大好きで保育士になりたいと願う私にとって、これこそ私にできる国際協力だと思うようになりました。

私の目指す国際協力、それはナーセリー。「子供を育てること」「作物を育てること」どちらも同じナーセリーです。私は農業教育を取り入れた保育を目指しています。

農業を学ぶ私だからできる国際協力は、現地に赴き、子ども達に農業を教えることではないかと思うようになりました。貧困から脱却するには、まず、飢えをしのぐため、自分たちで食糧を作り出せるようにならないといけません。いつまでも食糧援助を続けるわけにはいかないのです。また、働き手として必要なため学校に行けない子ども達。それもまた、貧困から抜け出せない要因となっています。洪水や災害に強く、効率の良い農業のやり方を子ども達に教えれば、食糧を得られるようになるだけでなく、働き手としてとられていた子ども達にも学校へ行く余裕が出てきます。ナーセリー、子ども達に農業を教えることこそが貧困から脱却する鍵となるのです。

私は夢の実現に向け、どうしたら子ども達が楽しんで農業に取り組めるか、富山短期大学の中山先生と短大生たちに協力してもらい、研究しています。また、英語をはじめ外国語の勉強をがんばっています。今年の春、参加した「クムホ・アシアナ杯 話してみよう韓国語高校生大会」では、在日韓国人を含めたくさんの仲間達とめぐりあうことができました。入賞者に贈られる研修旅行では、博物館で日本軍が韓国に残した傷跡を目の当たりにしたり、反日感情をぶつけられたり、とつらい気持ちになり、一時は世界で活動する自信がなくなりかけましたが、在日韓国人のジョンテが「僕は韓国人だから韓国が好き。でも友達がたくさんいる日本も大好きだ。」と話してくれ、ふたたび、やる気を取り戻せました。 さて、世界の貧困問題を考える場合に忘れられない言葉があります。それは、ネルソン・マンデラがあるキャンペーンで語った「貧困は自然現象ではありません。貧困は人間が作り出したもので、人間の力により克服することができます」というメッセージです。人間が協力することにより、貧困は克服することができます。人間が協力することにより、救える命はあるのです。国連はミレニアム開発目標などで貧困から脱却する活動を世界中に呼びかけています。私のような若者たちが、それぞれの特技を活かし、国際貢献していけるように、情報発信や支援をしていくことが必要だと思います。

私も微力ながら貢献したいと思い、国連が推進するSTAND UPキャンペーンに参加しました。当日は約90名の生徒が参加してくれ、スポレクとやまでは学校外のたくさんの人たちに呼びかけることができました。今後は生産物即売会などでも地域の人たちに呼びかけていく予定です。

私はこれからも頑張ります。貧困のない世界と子ども達の未来のために!