第59回 国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール

参加者の皆さんと審査員

- 第59回(平成24年度) 入賞者発表 -

受賞者/演題
外務大臣賞 奈良学園登美ヶ丘高等学校 成宮 里美さん
「私たちが拓く未来の国連」
法務大臣賞 長崎県立長崎鶴洋高等学校 岩崎 航さん
「私たちが拓く未来の国連」
文部科学大臣賞 宮﨑県立宮﨑西高等学校 加地 紫苑さん
「国連は世界の子供達の未来をどのように輝かせるか
~平和の種と豊かな教育~」
公益財団法人
日本国際連合協会会長賞
沖縄県立読谷高等学校 知花 友理阿さん
「私たちが拓く未来の国連
~桜がつなぐ心の輪~」
全国人権擁護委員連合会
会長賞
宮城県仙台第二高等学校 高橋 綾香さん
「私たちが拓く未来の国連」
公益社団法人
日本ユネスコ協会連盟会長賞
福島県立会津高等学校 遠藤 広樹さん
「国連は必要か
~現在・過去・未来~」
日本ユネスコ
国内委員会会長賞
静岡県立清水東高等学校 城内 香葉さん
「私たちが拓く未来の国連
~国民外交力、静岡から発信~」
公益財団法人
安達峰一郎記念財団賞
八女学院高等学校 石松 元秀さん
「国連は必要か
~人類の良心と叡智としての存在~」
日本放送協会会長賞 秋田県立湯沢翔北高等学校 小林 千智さん
「国連は必要か
~国連人として~」
国際連合広報センター賞 富山県立中央農業高等学校 田村 龍弥さん
「国連は世界の子供達の未来をどのように輝かせるか
~フラワールド!~」

入賞作品紹介

「私たちが拓く未来の国連」

外務大臣賞
奈良県 奈良学園登美ヶ丘高等学校 1年 成宮 里美

「あの時は両親と一緒に家にいたんだ。突然そこに敵がやってきて僕は必死で藪のなかに隠れた。お父さんとお母さんは見つかっちゃって、小屋の中に入れられた。あいつらはその小屋に油をかけて火をつけたんだ。僕のお父さんとお母さんを中に入れたまま。僕にはどうすることもできなかった。ただ藪の中で見てただけ。お父さんとお母さんが殺される瞬間をね。」

スーダンの少年兵が語った言葉です。少年兵が背負う記憶は、自然ではなく紛争によって生み出されたものでした。脳裏に焼き付いて離れない淋しい記憶を彼らは持っています。

なぜスーダンなどのアフリカ諸国で、紛争が今起こっているのでしょうか。その構造は一国内の対立といった単純なものだけではありませんでした。 コンゴ民主共和国では、コンタルというレアメタルが世界で最も採掘できます。それは輸出され、先進国のパソコンや携帯電話に使われています。しかしコンタルを高値で輸出し、得られる利益が紛争の資金源となり、武装集団を活発化させていたのです。その結果、紛争を長引かせるという事態を引き起こしています。そのコンゴ紛争に関わった全戦闘員の30%が少年兵だといいます。

最近、そのことを知ったある先進国ではコンタル不買運動が起こっています。自分たちがコンタルを買わなければ紛争がなくなる、と人々は考えました。現実はそのような簡単なものではありませんでした。コンゴでは、紛争で亡くなる人がいる一方、コンタルを輸出することでしか生計を立てられない人が確実に存在します。彼らは、不買運動を一種のイジメだと言います。一つの問題は複数の立場の人に、異なる影響を与えていたのです。

また、世界の先進国は武器を輸出することでアフリカ諸国の紛争に関わっています。その輸出は先進国に莫大な利益をもたらしています。政府軍が買った武器を反乱軍が奪い、紛争が続いているのです。その武器を最前線で使っているのは少年兵だったのです。

先進国に住む私達は、一体どこまで利益を求めていくのでしょうか。世界で起こる紛争の背景には、どこかで私達が繋がっているのかもしれません。私達が何かを得たとき、アフリカでは人々の生活が脅かされ、命を落としていくとも言えるのです。

国連は数多くの異なる国籍を持つ職員がおり、異なる価値観の中で議論が可能です。同時にほとんどの国が加盟する国連であるからこそ、議論の場においてそれぞれの国の譲れない利害が露になり、対立します。利害関係は、多くの選択肢にきっと障害を設けているはずです。しかし私達は利害関係を超えてでも、解決していかなければならない現実があることに気付くべきなのです。

人による争いは子供たちに取り返しのつかない現実を強いている。また、様々な環境問題が私達の未来を左右していくことを、自覚しなければなりません。地球環境など遠い世界の事と思いがちです。しかし、人間が生きられる環境の維持は必要不可欠です。資源の奪い合いや森林伐採などこれらの環境問題は一国内では解決できず、原因も一つの国だけにあるのではありません。これこそ世界の国々が集まる国連でしか解決できないと考えます。

利害関係を超えて解決すべき問題を徹底的に議論し、答えなき問題の解答を探し続けていくことによって、国連はその利点を生かし、私達の手で「幸福が持続していく社会」を実現することができるのだと、私は主張したいのです。

「私たちが拓く未来の国連」

法務大臣賞
長崎県立長崎鶴洋(かくよう)高等学校 2年 岩崎 航

被爆者でもある祖母が世界中で平和活動を行っていたのがすべてのきっかけでした。ペースボートの旅を終えた祖母は私に色々な話をしてくれました。世界の風景、人々の顔、言葉は違えども理解しあえるということ、そして平和の大切さ、祖母はこの活動中、各国で、平和について話していたそうです。しかし、その祖母が積極的に平和活動を始めたきっかけは私だったそうです。それは私が小学校5年生の時の「少年平和と友情の翼」という活動で沖縄に行き、戦争の悲惨さや平和の尊さを学び、自宅に帰って、祖母に「平和は作るものじゃない、守るものなんだ」と涙ながらに(私が)訴えたというのです。そのことを聞かされた私は、祖母が話してくれたどの話よりも衝撃を受けました。年を重ねた祖母が活動への参加を自分自身で決めた理由が私だったなんて思ってもみませんでした。私は祖母の話を聞くまでまったく平和活動をしていなかったのです。しかし私は、このままでいいのかと思いながらも、ただテレビの前で現実を見て見ぬふりをしていたのです。「このままではだめだ」そう思った私は、長崎で行われている高校生一万人署名活動をする決意をしました。その活動をしていくうちに、私は、現在の国連の状態について知る機会が増えていきました。しかし現在の国連は、十分にその機能を果たしているとはいえません。シリアの紛争を例にして考えてみましょう。この紛争の原因は財政悪化にともなう政治改革です。政府軍と反政府軍の戦いは激化の一途です。この紛争に対して、国連も平和維持軍を派遣するかどうかで議会を開きました。普通ならばここで軍を派遣することが決まって、紛争は即解決でした。しかし、ある国が拒否権を発動して、シリアに平和維持軍を派遣することができませんでした。それによりシリアの紛争は激化し、女性ジャーナリストである山本美香さんが亡くなるようなことにもなってしまったのです。もし議会で国々がまとまっていたら、散った命は今より少なくなっていたと私は考えます。

先ほども述べましたが、私は長崎で高校生一万人署名活動を行っています。この活動の目的は核兵器の廃絶です。しかし、これは単純なことではありません。そのためにはまず、国連に加盟している国々すべての意識を一つにしなければなりません。それが一番難しいのです。そこで、人々の思い(願い)のつまった署名の力が役に立ちます。この署名により、少しずつですが人々の考えが変わってきています。最初の頃はなかなか賛同してもらえませんでしたが、最近は高校生が多く署名してくれるようになりました。

国連もまた万能の組織ではありません。シリアの問題や地域紛争などをすぐにおさめることができません。しかし、国連は絶対になくてはならない組織です。イラク戦争の早期終結や、難民の救助、ユネスコによる世界遺産の保護活動、アフリカにおける学校給食プログラムなど様々な実績があります。

祖母の旅の話と活動を通して、私の思う未来の国連は、すべての人々と手を取り合い、一丸となって(世界の平和のために)活動できるようにすることです。そしてすべての国々が争いではなく、話し合いという一つのテーブルにつかせる努力を全力で行えるようにできる組織にしていくことです。そのためにも、私はこの活動を続けていこうと思います。それにより、少しでも多くの子どもたちが、私と同じような思いをもってくれることを信じて。

「国連は世界の子ども達の未来をどのように輝かせるか」

文部科学大臣賞
宮﨑県立宮﨑西高等学校 1年 加地 紫苑

「日本時間1941年12月8日。この日、真珠湾攻撃によってアメリカの誇りが汚されました。」これは私がアメリカに渡って間もない頃、日本語補習校の先生から聞いた言葉です。それからしばらくして、現地校で真珠湾攻撃のときのハワイを舞台にした映画「PEARL HARBOR」を鑑賞することになりました。すさまじい爆撃の風景、艦隊員たちの悲惨な最期は目を背けたくなるほど残酷なものでした。私は、映画に登場する日本人に対して怒りがこみ上げてくるとともに、自分と同じ日本人がこんな風に描かれていることをとても悲しく思いました。授業が終わり、恐る恐る教室を見渡しましたが、クラスメイトは私に避難の目を向けることもなくいつもと同じ態度でした。友人の一人は私に近寄りこんなことを言いました。「日本人は真珠湾攻撃のことを知ってるの?」自分の気持ちを整理できないまま、「う~ん。」と消え入るような声で答えることしかできませんでした。

もう一つの忘れられない経験。それは、韓国人の親友との出会いです。入学当初から同じ英語のクラスだったので顔見知りでしたが、話したことはありませんでした。正確に言うと、「避けられて」いたのです。それは、後に彼女が読んでいたという韓国の歴史漫画を読めば、一目瞭然でした。韓国が植民地にされていた頃のストーリーに差し掛かると耐えきれなくなり途中で本を返してしまったほどです。めくってもめくっても、目に入るのは日本軍に統治された韓国の人々のいたましい姿でした。確かにこれを読んでいれば日本人に対する憎悪がこみ上げてくるのは仕方のないことです。そんな彼女と仲良くなったきっかけは「折り紙」でした。昼休みにたまたま同じテーブルに座っていた私たちに、アメリカ人の生徒たちが折り紙を折ってほしいと頼みました。彼女はバラ、私は鶴を折ったら「さすがアジア人は手先が器用で上手だね」と言われました。アメリカの人々は韓国人、日本人として私たちを見ておらず、似た文化を持つアジア人として見ていることに気付きました。きっとヒョンジュも私と同じ気持ちだったのでしょう。興味を持ってくれるようになったのか話しかけてくれました。「紫苑と出会ってから日本人に対する印象が変わった」と言ってくれた時、心の壁が取り除かれたような嬉しさが込み上げてきました。

これらの経験から教育は時に民族同士に壁をつくりかねないという考えを抱いていました。そんな時、教育・科学・文化に関する国連の専門機関であるユネスコの21世紀教育国際委員会の報告書「学習 秘められた宝」を引用した新聞記事を見つけました。この委員会は、生涯学習の視点から、人類発展のための教育のあり方を幅広く検討し、「学習の4本柱」というテーマを掲げています。1つ目は知ることを学ぶlearning to know、2つ目は為すことを学ぶlearning to do、3つ目は人間として生きることを学ぶlearning to be、そして共に生きることを学ぶlearning to live together ― どんな宗教・文化・民族でも共に尊敬しあって生きることを目指すために様々なことを知り、考え、そして行動につなげることが大切だということです。この教育の本質を理解すれば、たとえ民族同士に見えない壁を感じたとしても、きっとその壁を取り去ることができると確信します。この本質を浸透させるためにも、国連は組織のあり方を時代に相応してより良い形に変えるべきだと考えます。例えば、私は安保理の常任・非常任理事国の議席の拡大などを目指す安保理改革に賛成です。それによって、ユネスコを始めとする国連の活動が今よりずっと身近な存在となり、多くの国々が国連に高い関心を持つことで人々の意識が変わると思うからです。そうすれば、「学習の4本柱」の基盤がさらに強固なものとなって「戦争の悲劇を二度と繰り返さない」というユネスコの理念が実現するのではないでしょうか。私は、このメッセージを受け取った一人として、どんな国の人とも誠実に向き合い、強い信頼関係を築ける国際人になりたいと思います。

「私たちが拓く未来の国連」

公益財団法人日本国際連合協会会長賞
沖縄県立読谷高等学校 2年 知花 友理阿

第五回琉米高校生漫画コンテスト。

この大会は、アメリカと沖縄の高校生が絵を通してお互いの視点の相違点や共通点を見つけ友好関係を築くことを目的としています。

明治の終わり、日本政府は日米の友好を目的としワシントンへ桜二千本を贈りました。しかし、害虫が発生し桜は全て焼却され、一九一二年再び桜が贈られ、今でもその桜は咲き続けています。「桜寄贈百周年記念」が今年のテーマです。

私は、大会に参加しようかとても迷いました。なぜなら、英語が苦手だからです。アメリカの高校生と一緒に果たして思うような絵が描けるだろうか、不安もありました。

後で通訳が付くからと言われひと安心。意見の衝突を恐れることよりも、めったにない機会にチャレンジする喜びのほうが勝りました。

私のチームは、ハイスクールから高校一年生のアマンダと、県内の高校から二人、計四人です。みんなとても緊張していました。皆の緊張を解くために、ある秘策を考えていたのです。これです。(マジックの披露)

皆、驚き喜んでいました。雰囲気が和やかになったところで、下書です。桜や日米両国の国旗、日本のイメージ「お寺」を入れたいと言う人。一枚の画用紙に皆で絵を描くので、皆が納得するまで話し合いは続けられました。

通訳の方に頼らず、出来るだけ直接コミュニケーションを取ろうと私たちは単語とジェスチャーで意見を交換しました。

背景の色を巡って、暖かい春の訪れをオレンジで表したいアマンダたち。一方、春の空を青色にしたい私たち。意見は二つに分かれました。私は試しにスケッチブックに桜の背景が青色、オレンジ色それぞれ描いてみました。すると、どうでしょう。青色の方が桜がよりきれいに見えたのです。全員、納得です。一人一人の真剣な目差しからは、皆でいい作品を作りたいという強い気持ちが感じられたのです。審査の結果、一位はなんと私たちのチーム。とてもうれしかった。それは、今まで一度も経験したことのない合作だったからこそ味わえる喜びと感動でした。

人と人とが心を通わせるのに必要なのは、言葉だけでしょうか。もちろん、外国の言葉が話せればそれに越したことはありません。しかし、それより大切なのは、「わかり合いたい」という相手を理解しようとする心なのではないでしょうか。

国連は、教育・科学・文化活動を通じ国際協力を促進し、諸国間の友好関係を発展させる目的があることを知りました。

今、私の住んでいる沖縄は米軍基地があることで普天間基地移設問題やオスプレイの県内基地への配備など問題を抱えています。この問題を解決するには、私がこの交流で学んだように日本とアメリカが互いの相違点や共通点を見つけ意見を交換し、真の友好関係を築くことが大切です。

沖縄のことわざに「行逢れば兄弟」という言葉があります。行き会う人は皆兄弟のように仲良くしなさい、という意味です。沖縄が琉球王国として外国貿易を行い、諸外国の人びとと共に歩んだ先人たちの知恵です。

百年の時空を超えて、友好のシンボルである桜が、言葉や文化や国も違う私たちを巡り合わせてくれた。あの時、同じ時間、同じ思いを共有した私たちは、確かに目に見えない絆で繋がっていました。まさに「行逢れば兄弟」の友好と平和の精神に触れることができた貴重な体験でした。

小さな島の大きな友好の精神、平和に繋がるその精神を誇りに思い、世界に発信していきたいと思います。