第66回 国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール
- 第66回(2019年度) 入賞者発表 -
外務大臣賞
広島女学院高等学校 庭田 杏珠 さん
世界の平和のために日本と国連ができること - AIと対話で、戦前の白黒写真の「記憶の色」を蘇らせる活動を通して -
法務大臣賞
神奈川県立希望ヶ丘高等学校 中島 えり奈 さん
世界の平和のために日本と国連ができること。 - 虐待のない世界 -
文部科学大臣賞
長崎県立口加高等学校 栗田 悠衣 さん
海洋プラスチックごみ問題をなくすために,私たちが国連とできること。
公益財団法人日本国際連合協会会長賞
仙台白百合学園高等学校 後藤 莉子 さん
世界の平和のために日本と国連ができること。 - 過去を心に刻む -
全国人権擁護委員連合会会長賞
福岡県立直方高等学校 有田 彩華 さん
世界の平和のために日本と国連ができること。
公益社団法人日本ユネスコ協会連盟会長賞
富山国際大学付属高等学校 村上 果璃 さん
海洋プラスチックごみ問題をなくすために,私たちが国連とできること。
日本ユネスコ国内委員会会長賞
開邦高等学校 鈴木 礼 さん
日本における持続可能な開発目標(SDGs)の達成に向けて,私たちが国連とできること。 - 目標8「働きがいも経済成長も」を中心に -
公益財団法人安達峰一郎記念財団理事長賞
カナディアン・アカデミイ 林 昀諮 さん
海洋プラスチックごみ問題をなくすために,私たちが国連とできること。
NHK会長賞
静岡県立藤枝東高等学校 杉山 芽衣 さん
世界の平和のために日本と国連ができること。 - 虐待のない平和な世界へ向けて -
国際連合広報センター賞
長野県松本深志高等学校 諏訪 雄太 さん
世界の平和のために日本と国連ができること。 - 国際という教科を作ろう -
- 特賞入賞作品紹介 -
世界の平和のために日本と国連ができること - AIと対話で、戦前の白黒写真の「記憶の色」を蘇らせる活動を通して -
外務大臣賞
広島女学院高等学校 3年 庭田 杏珠
「世界の平和のために日本と国連ができること」。それは、原爆や平和について、自分ごととして想像してもらえるよう、世界に働きかけることです。
2019年8月6日。原爆投下から 74年目を迎えた広島平和記念公園に、世界中からたくさんの人が訪れ、祈りを捧げました。しかし、どれだけの人がその地面の下に、かつて 4,400人が暮らした繁華街・中島地区の生活の息づかいを感じることができたでしょうか。
現在平和公園となっている場所は、戦前多くのお店や劇場、レストランが立ち並び、今の私たちと変わらない日常生活が営まれていました。
私は、高校の署名実行委員会に所属し、副委員長として、核兵器廃絶のための署名運動に取り組みました。また、東京大学の渡邊英徳先生が制作した、被爆者の証言をインターネットのデジタル地球儀上に保存する「ヒロシマ・アーカイブ」のプロジェクトリーダーも務めました。
署名活動に取り組む中、広島においても原爆や平和について関心を持たない人が多いと感じました。被爆者の高齢化が進む中、若者による「被爆者の想い・記憶の継承」が重要となります。しかし、戦争を体験していない若者にとって、戦争は遠い過去の出来事であり、他人ごととして捉えられていると思いました。そして、これは私の取り組むべき課題となりました。
そんな中、2017年6月、私は平和公園で署名活動中、偶然 濱井徳三さんと出会いました。
濱井さんの生家は、中島地区で「濱井理髪館」を営んでいましたが、原爆投下によりご家族全員を失いました。後日、「ヒロシマ・アーカイブ」の証言収録の時に、疎開先に持って行った大切なアルバムをお持ち頂きました。そこには、戦前の日常生活を捉えた貴重な白黒写真 約250枚が収められていました。そして渡邉先生に、早稲田大学が開発した AI による白黒写真の自動色付け技術を学び、「ご家族をいつも近くに感じてほしい」という想いから、カラー化を始めました。
カラー化した写真をご覧になった濱井さんは、「家族がまだ生きているようだ」と喜ばれました。私たちとの対話を通し、色補正を重ねるうちに、白黒写真では思い出せなかったさまざまな記憶が蘇りました。
その後も、中島地区の元住民から、戦前の白黒写真を提供してもらっています。カラー化した写真をもとに対話し「記憶の色」を蘇らせ、その記憶を「記録」しています。
アートやテクノロジーを用いると、これまで関心がなかった人にも、原爆や平和について自分ごととして想像してもらえます。
これまで、カラー化した写真展示会や映像作品などを通して、戦前には私たちと変わらない暮らしがあって、それがたった一発の原子爆弾によって一瞬のうちに奪われたことを、自分ごととして想像してもらえました。
今年の2月にリリースしたスマートフォンアプリでは、カラー化した写真を現在の平和公園の風景に重ねて表示することができます。アプリを使いながら平和公園を歩くと、時空を超えてかつての中島地区の生活の息づかいを感じることができます。
昨年12月にパリ・ユネスコ本部の国際フォーラムでプレゼンを行い、私たちの活動は国境を越えて共感してもらえると感じました。今年の4月にはニューヨーク国連本部で行われた、NPT 再検討会議準備委員会のユースフォーラムでプレゼンを行いました。そこでは、対立する国家間の溝を埋めるためには、市民社会の役割が重要であると確信しました。これからも被爆者の想いを共感の輪で世界に広め、世論を高める活動を続けていきたいと思います。
「世界の平和のために日本と国連ができること」。それは、核保有国・傘下国と非保有国の橋渡し役となることです。そのためには、日本と国連が連携し、来年の NPT 再検討会議で、各国の為政者と若者が直接対話出来る機会を提供すること、また被爆地広島・長崎を訪れるよう働きかけることだと思います。
被爆者の平均年齢は 82歳を超え、直接証言を聞ける時間は限られています。憎しみや悲しみを乗り越えて、「もう誰にも同じ思いをさせてはならない」という被爆者の崇高な想いを直接聞き、実際に被爆地を訪れ、あの日のことを自分ごととして想像してほしいと思います。
私はこれからも、被爆者との対話を重ねて「記憶の色」を蘇らせます。その記憶を「記録」し、世界に発信し続けます。そして、「被爆者の想い・記憶」を未来へ継承していきます。
世界の平和のために日本と国連ができること - 虐待のない世界 -
法務大臣賞
神奈川県立希望ヶ丘高等学校 3年 中島 えり奈
中学生時代に、私の友人は、両親の虐待により保護され、児童養護施設に住んでいました。しかし、たったそれだけの理由で、彼女は学校でいじめを受け、不登校になってしまったのです。理不尽な世界を、そして、彼女を守れなかった自分の無力さを、私は身にしみて感じました。この事がきっかけで、私は、児童虐待という問題に関心を持ち始めました。
小児科学会によれば、児童虐待の死亡者数は、年間350人と推計されます。これは、交通事故により死亡する児童数の約4.5倍です。この数値から分かる通り、児童虐待は見過ごす事のできない問題です。
そこで私は横浜市の児童養護施設を訪ね、この問題について新たな学びを得ました。何と、日本は「国連子どもの権利委員会」から人権侵害に関する勧告を受けているのです。
虐待を受けた子供達は保護された後に、児童養護施設や里親に委託されます。その日本での内訳は、児童養護施設が 7割、里親が 3割で、里親への委託率は先進国の中で最も低くなっています。世界では、家庭的環境である里親が推進され、逆に施設での養育は人権侵害と見なされます。実際、欧米では里親の割合がとても高く、更にオーストラリアでは 9割にまで上っています。このように日本も、里親を増やす為の努力をしていかなければなりません。
里親制度が浸透している国の 1つに、アメリカが挙げられます。そこで私は、神奈川県友好交流地域高校生派遣事業へ参加し、自らメリーランド州の児童養護施設を訪ねる事で、アメリカの里親制度について調査を行いました。しかしそこで私が知った現実は、思いも寄らないものでした。
現在アメリカでは、里親からの虐待、そして里子の人身売買が問題となっているのです。要因は、人々がお金目当てで里親を引き受ける事です。
日本は現在、里親を増やすための政策を進めていますが、単に里親を増やすだけでは、アメリカ同様、深刻な問題を招く可能性があります。それを避けるためには、国境を超えて互いの情報を収集し、共有し合うことが必要なのです。
「国連子どもの権利委員会」は、子どもの権利について各加盟国の状況を調査し、情報を管理しています。そこで、それを世界各国と共有し、より進んだ取り組みについては、世界中に広げる活動をしてはいかがでしょうか。その為に、各国は国連に、入念な状況報告を行い、より進んだ取り組みとその成果は、積極的にアピールする事が必要です。
私はこれまで児童虐待の調査に当たって、社会福祉に携わる多くの方々に意見を伺い、私の考えを発表してきました。私の高校、メリーランド州の高校、日米の福祉関係機関。
そこで得た多くのコメントの中で、メリーランド州の高校生からのコメントは特に印象に残っています。「児童虐待は、僕に関係のない事だと思っていたけれど、苦しんでいる人は直ぐ隣に居るのかもしれない。だから僕もこの問題に向き合っていきたい。」
世界が一歩、前進した様に感じました。あなたは知っているのです。あなたの内に秘められた力を。私たちは声をあげ、行動し、訴えかける事で世界を変える事が出来る。今私がここで、皆さんに語りかけている様に。
国と国との戦争が減りつつある現在、世界中で新たな戦争が巻き起こっています。それが、児童虐待、大人と子供の戦争です。世界平和とは、国同士の争いがなくなる事だけではないはずです。この世界の将来を担う、無垢で幼い子供達を、守れる様になって初めて、私たちは本当の平和を手に入れることができるのではないでしょうか。
世界各国と国連、そして私たちの行動が、これからの世界を変えてゆきます。虐待に苦しむ子供達の存在を知ったあなたは、明日、何をしますか?
国海洋プラスチックごみ問題をなくすために,私たちが国連とできること
文部科学大臣賞
長崎県立口加高等学校 2年 栗田 悠衣
私が住む町の海には、たくさんのイルカがいます。海産物も豊富に獲れ、あらかぶはブランド化されています。そんな美しい海に、ある脅威が迫っています。プラスチック汚染です。今年、タイのジュゴンが、プラスチックごみが原因で死んでしまいました。マイクロプラスチックは海に約51兆個もあり、海洋生物が誤飲しています。その魚を食べると、私たち人間の体の中にもプラスチックが入り込む危険性があります。食物連鎖の中で、プラスチック汚染は生物を蝕んでいます。そして、日本人が出す使い捨てプラスチックごみの量は、世界2位。こうした事実に、私はショックを隠せません。私の町の大切な海を、私たち自身が「自覚なく」汚しています。なぜプラスチックによる海洋汚染に歯止めがかからないのでしょうか。その原因は、私たち自身の「当たり前の感覚」にあります。
私は今年、語学研修でオーストラリアに行きました。現地のスーパーで、レジ袋をくださいと伝えると、「袋は有料です」と言われました。他の店で同じことを尋ねると「袋は一枚しかあげられない」と言われました。私は一つの店だけでなく多くの店でレジ袋規制のルールが守られていることに驚きました。残念なことですが、実は、私の町ではレジ袋を規制している店はありません。レジ袋は無料でもらえ、燃えるごみとして捨てる、それが私の町の今の当たり前です。「分別ばすれば、プラスチックば使ってもよかろうもん。私はちゃんとやっとるけん。」そんな感覚が当たり前になっているようです。しかし、世界に目を向ければ、オーストラリアをはじめとする 83か国がレジ袋の無料配布を禁止、 127か国が何らかの法規制を定めています。これが世界の当たり前です。
私の町には、大手のスーパーはなく、地域との関係を大切にする飲食店や小売店が中心です。そうした店では、無料でプラスチックの容器や袋を配布しており、それがお客様へのサービスの一環となっています。私の父は、昔から作り上げてきたお客様との信頼が大切だと言います。たしかに、お客様の利便性を考えて行動することは素晴らしいことです。また、きめ細やかなおもてなしは日本のよき伝統であり、今までの日本にとっては当たり前のサービスと言えるでしょう。しかし、そのおもてなしは持続可能なものでしょうか。その価値観を持ち続けることは私たちの美しい海の未来を閉ざすことになるのではありませんか。
世界での当たり前は、私の町の当たり前ではない。当たり前を統一するために、私たち「個人」の行動が必要です。国連が提示している「 If you can’t reuse it,refuse it. 捨てるなら、もらわない」を実行することです。私は、勇気を出してレジ袋を断りました。店員さんは流れ作業のようにレジ袋を取り出そうとしましたが、私が断ると少し止まって、不思議そうな顔で私を見つめ、笑顔で「ありがとうございます。」と声をかけてくれました。私と店員さんの、未来を守るための思いと行動が一つになり、共感が生まれた瞬間です。このことから私は、個人の行動で今の当たり前を変えることはできると確信しました。一人ひとりの行動が、新しい当たり前を作っていきます。
イルカを、海を守りたい。この思いは私の当たり前を変えました。守りたいものを守るために、「捨てるなら、もらわない」を実践してみませんか。
世界の平和のために日本と国連ができること - 過去を心に刻む -
公益財団法人日本国際連合協会会長賞
仙台白百合学園高等学校 3年 後藤 莉子
私は中学生のころからチェロを習っています。私が尊敬するチェリストは、もちろん、20世紀最大のチェリストといわれるスペインのパブロ・カザルスです。カザルスの生きた時代は、スペインやドイツにファシズム政権が成立し、やがてヨーロッパが戦争の渦に巻き込まれていく時代でした。
私は二年前にドイツに長期留学しました。ドイツを留学先に選んだのは、あのナチスドイツを生んだドイツが今どうなっているか知りたかったからでした。ハンブルグの高校に留学して一番驚いたのは、徹底的にディスカッションやプレゼンテーションを行い、みな真剣になって自分の意見を発言する歴史の授業でした。「なぜ大きな世界大戦が二度も起こったのか」「国民はなぜヒトラーを支持したのか」などについて調べてきたことを発表し、意見を述べ合うクラスメイトの姿に私は圧倒されました。
帰国後、学校の海外研修でポーランドに行く機会がありました。その時に訪れたのがアウシュヴィッツ強制収容所です。展示室では 2トンもの女性の髪の毛が山積みになっていました。髪を切られガス室に連行される女性の姿を想像したとき、私の胸は張り裂けそうになりました。
どうして人間はこのような残酷なことができるのか。アウシュビッツからクラクフに帰るバスの中で、私の頭は混乱していました。そのとき思い出したのがこのような問題に対して徹底して議論していたドイツでの歴史の授業でした。
ポーランドから帰国して日本の生活に戻りましたが、次第に学校での歴史の授業に違和感を感じ始めました。日本の歴史の授業は一方的な講義形式で、受験に必要な知識のみを教えられます。これでは戦争や平和に対しての問題意識は育ちません。ドイツの授業の授業との違いを見せつけられ日本の教育はこれでいいのだろうかと疑問を抱くようになりました。
過去を振り返り、判断力を養う大切さを説いたのはアウシュヴィッツの日本人公式ガイド、中谷さんでした。「皆さんは、何のために勉強しているのですか? 将来、いい大学に入るためですか? 皆さんは、社会の動きを見抜く判断力を身に付けるために勉強しているのです。二度と過ちを繰り返さないために。」
私は、将来、歴史の教員になり、若い人たちの中に歴史を観る判断力を育てたいと思っています。しかし、今、その壁になっているのが各国の「歴史教科書」だと感じています。
私は提案します。過去戦争にかかわった国同士が、戦争の原因を検証するために、共同で歴史教科書を作ることを。この試みは、すでに、ドイツとポーランドで始まっていますが、両国の歴史認識を乗り越えるのは簡単なことではありませんでした。この時、両国の歴史学者の間に入り、この作業を促進して教科書の刊行までに導いたのが、国連のユネスコ委員会でした。
今こそ、国連の役割が必要なのです。私には夢があります。いつか世界共通の世界史教科書が国連によって作られ、世界のすべての高校生が、この国連版世界史教科書を使って授業をしているという夢が。その教科書は、若者の判断力を養い平和を実現するための教科書です。
このことを国連に働きかける役割を担うのは日本でなければなりません。なぜなら、日本は戦争の加害者であり、被害者でもあり、そして唯一の被爆国だからです。日本は、平和を実現する使命を持っているのです。私も、その一人です。
私の大好きなパブロ・カザルスは、1971年、94歳の時、国連総会で「鳥の歌」という曲を演奏しました。その時の短いスピーチで、カザルスはこう語りました。「私の故郷 カタルーニャの鳥たちは、大空に舞い上がるとき、こう歌うのです。Peace,Peace … . 」
カザルスが生涯、訴え続けた Peace -「平和」。本当の平和を実現するために、私たちは、過去をしっかりと心に刻み、今を判断する眼を養わなければなりません。希望の未来を築くために。