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2023年度
奧・井ノ上記念日本青少年国連訪問団

I. 国連訪問団の活動について

本派遣事業の目的

この派遣事業は、将来、日本と国際社会の主役となる中学生、高校生の皆さんに、国際連合について知識と理解を深めてもらう事を通じて、外国の国々や国際連合を含む国際機関への興味を深め、国連外交というものをよりよく知ってもらいたいという願いをこめたプログラムです。

名称について

本件訪問団派遣事業は、平成13年度に当時外務省国連政策課長であった故・奥克彦大使の発案により始められたものであり、イラクの平和と復興を願いつつ殉職した奥大使及び井ノ上書記官の功績を称えると共に、日本の青少年に世界の平和と繁栄に貢献することの大切さを伝えるために、日本の国連加盟50周年にあたる平成18年より両名の名前を冠する事になりました。

活動内容

東京で結団式を行い、外務省及び国連広報センターを訪問し、国連の取組や日本の国連政策について、事前のブリーフを受けました。

ニューヨークでは国連本部を訪問するとともに、国連児童基金(UNICEF)といった国連機関の事務所において、その取組などについて説明を受けました。また、国際連合で働く日本人職員との懇親会や各国国連代表部訪問、現地学生との交流も行い、国際連合のあり方や日本の貢献などについて理解を深めていただきました。

II. 奧・井ノ上記念日本青少年国連訪問団 日程

III. 参加者名簿

<中学生>

西嶋 彩香福岡大学附属大濠中学校
恩田 美広尾学園中学校
近藤 快長久手市立北中学校
神田 愛莉周南市立周陽中学校

<高校生>

吉田 瑚都筑陽学園高等学校
前橋 真子北杜市立甲陵高等学校
髙橋 佑奈大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎
松田 賢一郎 レムエル愛知県立中村高等学校

<日本国際連合協会>

金 薫好日本国際連合協会 職員

<添乗員>

山﨑 さなえ近畿日本ツーリスト株式会社

IV. 活動の記録

国連広報センター訪問

2024.3.25

国連広報センターでは、広報センター長を務められている根本所長にお話を伺いました。根本所長は私たちに NY国連研修の意義の一つに「モヤモヤ、いわば矛盾を日本に持ち帰ること」とお話しして下さりました。そして「そのモヤモヤはきっとこれから日本社会の発展のための自分のアクションの礎になる、世界の最先端の良いところだけではなく課題に着眼することで初めて見えるものがある」と。根本所長のお話が研修を終えた今、身に沁みています。

私の得たモヤモヤ。それは NY滞在 2日目の夕食の時でした。レストランで私たちが食事をしていた近くにトレーを返却する台があり、その穴には紙ナプキンや紙コップ等が捨てられるようになっていました。日本のフードコートでもよく見かけるあのゴミ箱です。ある家族が席を立ちパックをゴミ箱に捨てて行きました。その後、日本では見かけたことのない光景に私は自分の目を疑いました。一人の男性が、その穴に顔と手を入れて、先程の家族が捨てたパックを一生懸命拾い、店を出て行ったのです。パックの中には、まだ何か食べ物が入っているようでした。その男性の真剣な眼差しと窶れた後ろ姿に胸が締め付けられるようなやるせない気持ちになりました。お腹が空いているのでしょうか。食べ物を買うお金が無いのでしょうか。彼にも家族がいるのでしょうか。目の前に並ぶ沢山の鮮やかな料理たちも、私の目には白黒に見えました。私の目の前に並ぶ料理を彼にあげたいとさえ思いました。しかし、そんな私に、研修に一緒に参加した友達が言いました。「この料理を食べる権利は、まだ私たちにある。それを今、簡単に手放すのは違う気がする。」その言葉は私のモヤモヤを掻き立てました。確かに、お金を出して買っているのは私たちです。食べる権利も私たちにあります。でも、残されたものは誰のものでしょうか。彼は捨てられたものしか手にできないのでしょうか。私たちが食べきれず残ったものを、捨てる前に彼にあげれば良いのでしょうか。そもそも、それは正しいのでしょうか。結局、私は何もできませんでした。今でも、どうするべきだったのかは分かりません。お腹いっぱい食べた後も私は彼の姿が頭から離れませんでした。彼はこのような満たされた気持ちになったことはあるのか、考えれば考えるほど満たされたお腹とは裏腹に、私の心はぽっかり穴が空いたようでした。

これが私が持ち帰ったモヤモヤ、矛盾です。皆さんならどうしますか?世界には正解のない問題がたくさんあります。誰かの正解が、誰かの不正解です。持つ文化も、守るものも、目指すことも違うからこそ衝突し、その都度話し合う必要があります。バッググラウンドの違う人々が同じ土俵に立って一つの問題について議論し合う、そんな架け橋の役割が国連であること。国連は国々のこれからを左右する複雑で大変重要な機関であることがよく分かりました。研修後も、私が持ち帰ったこのモヤモヤが頭から離れません。きっとこの先も忘れることはないと思います。私は将来就きたいと思っている職業からこのような国際社会問題に対してどのように貢献できるか考えるようになりました。今回抱いたモヤモヤ、矛盾を心に留め、これからも学び続けます。根本所長、貴重な気づきをありがとうございました。

(北杜市立甲陵高等学校 前橋 真子)

外務省訪問

2024.3.25

私たちは国連訪問の前日に外務省に訪問した。外務省では、結団式、外務省幹部表敬・懇談、事前勉強会が行われた。

外務省幹部表敬・懇談では松尾参事官に質問をさせていただく機会があった。私は、核兵器禁止条約における日本の立場について伺った。日本は唯一の被爆国であり核兵器に対して反対の立場であるのにも関わらず、日本は核兵器禁止条約に批准も賛成もしていないことに疑問を抱いたからだ。現在、核兵器禁止条約に核保有国は 1カ国も賛成していない。核兵器禁止条約に核保有国が賛成しない限り、世界で核兵器を禁止することは現実的ではないそうだ。また、もし日本が核兵器禁止条約に賛成すれば、核保有国と非核保有国との間に分断が生じてしまうともおっしゃっていた。

事前勉強会では、国連に対する一般的な政策や国連機関における日本人職員増強のための支援を行う国連企画調整課から、日本の国連外交について教わった。今年3月は日本が国連安全保障理事会で議長国を務めたそうだ。また、日本は非常任理事国に加盟した数は最多であり、国連分担金も世界に 3番目に多い。しかし、日本人の国連職員の数は先進国の中では最下位であるそうだ。これまでに日本が貢献してきたこと、そして今後の日本の課題を学んだ。

これらの事前勉強を活かし、翌日国連研修に励んだ。また、国連邦人職員と懇談させていただいた。核兵器禁止条約に捉われない様々な軍縮のアプローチがあることを知った。軍縮に対する新たな視点を考察できる研修となった。

(筑陽学園高等学 吉田 瑚都)

国連邦人職員との昼食懇談会

2024.3.26

国連邦人職員との昼食懇談会では、国連職員の方と美味しいご飯を食べながら、いろいろな事についてお話しをすることができました。私は実際に国連を訪れるまでは国連について何も知りませんでした。けれども、この昼食懇談会では、私たちと近い目線にたって、お話をして頂き、わからないこともたくさん聞くことができました。実際に国連で働いている邦人の方から話を聞けることは本当に貴重な機会だと思いました。

お話を伺って、特に興味が湧いたのは、国連で実際に働いて感じるやりがいについてです。職員の方は、職場で異なる人種の多様なバックグラウンドを持つ人たちがたくさん集まり、ひとつの目標に向かって力を合わせ、何かに取り組むことは国連でしかできない事だとおっしゃっていました。私はこれを聞いて凄いと思いました。こんなにたくさんの国が集まり話し合いが出来る場所はここしかないと私も強く思いました。国連や外務省でお話を伺うことができた方々はとても優秀で凄いなと思う人たちばかりでしたが、私たち学生に対しても誰も偉ぶることなく腰が低く、人間的にも素晴らしい人たちだと思いました。

(長久手市立北中学校 近藤 快)

国連邦人職員との昼食懇談会

2024.3.26

国連職員との昼食懇談会を通じて、非常に貴重な時間を過ごすことができました。最初は懇談会と聞いて、とても堅苦しい雰囲気を想像していましたが、実際にはとてもフランクに話すことができ、平和に関することから自身の学校でのプロジェクトまで幅広く話すことができました。私自身、日本の学校のシステムや校則、新卒カードや転職への偏見など、就職システムに対する不満や息苦しさを感じることがあります。普段日本で暮らしているとあまり共感されないことにも共感していただき、親近感を感じ、何よりも居心地が良かったです。彼らのオープンマインドさに驚き、国際連合という場所に心を惹かれました。私も久保さん、長澤さん、バッティーさんのように国連で働きたいと思うようになり、将来の夢が増えたような気がします。

(愛知県立中村高等学校 松田 賢一郎 レムエル)

イラク政府代表部を訪問させていただいて

2024.3.26

イラク政府代表部の皆様から、イラクについて直接お話を伺うことができ大変光栄でした。

UNAMI という国連組織がイラク戦争後、政治プロセスの支援及び人道復興援助の調整等を行っており、国内の公平性を保つために機能していること。そして、イラクでは水不足や大気汚染、砂漠化などの問題が深刻であり、それらの問題解決に向けて国連と協力しながら取り組まれていること。そして、日本とはイラク戦争以前から経済的な関わりも深いこと等についてお話を伺いました。

恥ずかしながら、私が日本であまり触れることのなかった情報ばかりで、非常に勉強になったとともに、自分自身でも他国の歴史や実情、日本との繋がり等について積極的に知る努力を惜しまないようにしよう、と思いました。

また、18歳以上が参加できる社会問題を解決するための国連プログラムの概要などもご説明下さり、今後自分が具体的に活動する際の目標の一つとして認識することも出来ました。

(大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎 髙橋 佑奈)

UNICEF訪問

2024.3.26

視察研修の二日目、私たちはユニセフ本部を訪れ日本人職員、武居利恵様からお話を伺いました。その中で、特に印象に残っているのはコンゴ民主共和国についての話です。コンゴ民主共和国は、水道などのインフラの設備が不十分なため 5歳未満児の 42.7パーセントにあたる約700万もの人が栄養失調で亡くなっているとのことでした。しかし、ユニセフが食料支給やマラリア・コレラ等の予防接種をすることによって 5歳未満児死亡率の 94パーセントを改善することができたそうです。

私は、実際に活動されている職員の方から直接ユニセフの活躍を伺うことで、ユニセフの活動は「子どもの命と未来を守る大切なものだ」と改めて実感することができました。日本では、蛇口をひねればきれいな水がでてくることが当たり前です。しかし、世界には苦しんでいる子どもたちがたくさんいるということを忘れずにいることがとても大切だと思いました。これからは、広い視野で物事をみたり、募金をしたりすることを心がけていきたいと思います。

(福岡大学附属大濠中学校 西嶋 彩香)

UNICEF訪問

2024.3.26

すべての子どもが子ども時代を楽しみ、学び、持って生まれた可能性を伸ばすことができる世界が当たり前ではない現実を、UNICEF本部で改めて突きつけられた気がします。

特にアフリカ諸国では、安全で衛生的な環境での出産すら当たり前でないことを知りました。妊娠・出産で命を落とす女性がいること、生まれて間もなく亡くなってしまう新生児がいることーー。恵まれた環境で生まれ育った自分との違いの大きさに衝撃を受けました。

子どもの貧困問題や教育格差の解決以外にも、ユニセフでは清潔で安全な出産のためのキットを配布するなど、妊産婦と赤ちゃんの命と健康を守る取り組みにも力を入れていることを教えていただきました。私は南アフリカで幼少期を過ごした経験から、将来はアフリカの子どもたちの教育環境向上に役立つ仕事をしたいと希望していますが、今回の訪問で、多岐にわたるユニセフの活動により関心が高まりました。世界中の子どもたちが等しく健康で幸せでいるために自分に何ができるかを、これからも追求していこうと思います。

(広尾学園中学校 恩田 美)

日本政府代表部訪問

2024.3.26

私達は、日本政府代表部の山﨑大使より、奥大使と井ノ上書記官の「究極の善意」についてお話を伺いました。

イラクの復興のために尽力された奥大使と井ノ上書記官は、2003年のイラク日本外交官射殺事件の被害者となりました。

このことを伺ったときに私は、この事実を知らずに奥・井ノ上記念青少年国連視察派遣団としてニューヨークに来た自分を情けなく思いました。それと同時に、命をかけて世界の平和に貢献した 2人の善意を私達が受け継いでいくべきだと強く感じました。

そして、国連加盟国の中でもトップレベルの責任を担っている日本で生活する身として、自分の武器、強みを平和のために使うことのできる人になりたいという意識が芽生えました。

過去の功績から学び、その熱意を私達が継承する際には、現実から目を背けないことが重要です。ただ闇雲に考えるだけでなく、現実を受け止め、そのうえで自分達にできることを実行していきたいと思います。

2人の究極の善意を無駄にせず、1人ひとりが確実に少しずつ歩を進めていけば、必ず道は開けるということを確信した瞬間でした。

まだまだ未熟者ですが、これからも学び考えることを続けていき、自分の強みを最大限に活かして世界に貢献できるよう努めていきたいと思います。

(周南市立周陽中学校 神田 愛莉)

V. 感想文

令和5年度奥・井ノ上記念日本青少年国連視察派遣団に参加して

福岡大学附属大濠中学校 西嶋 彩香

ニューヨークは、何もかもスケールが大きくて驚きの連続でした。今まで見たことのない高層建築物が視野全体に広がり、胸を弾ませながら現地での研修へと入りました。

国連視察では、実際に各国の代表が会議をしている場面を見ました。展示室には、長崎のアグネス像がありました。また、通常では入ることのないイラク政府代表部や、ユニセフ本部、日本政府代表部へ訪問しそれぞれの活動の内容や活動の成果について直接伺うことができました。

様々な訪問の中で特に印象に残っていることは、スタイブサント高校の生徒と交流したことです。そこでは、外国人五人の中に私が入るという形で交流しました。はじめはうまく話せるか不安でしたが、実際に交流してみると皆笑顔で接してくれ、私も自然と笑顔になりました。また、音楽や映画などの共通の話題で相手を知ることができ、距離を縮めることができました。今回私が最も嬉しく感じたことは、スタイブサント高校の生徒の皆さんの優しさです。交流の最後に連絡先を交換して良い場面がありました。しかしその時、私だけが皆が持っている連絡アプリを持っていませんでした。そこで代わりに私が持っている連絡アプリを伝えると、皆その場でアプリをわざわざインストールしてまで連絡先を交換してくれました。私は、短時間の交流にもかかわらず、国籍の違う私にそこまでしてくれたことにとても驚きました。

今回の研修で出会った方々は皆、共通して思いやりを持って他国の人を理解しようとする姿勢を持ち続けているように感じました。私は今回の研修を通してそのような姿勢が最終的に国際連合の役割である世界の平和の維持に繋がるのではないかと思いました。

私はこれから他国の人をより理解することができるようにまずは英語力を高め、国際問題に目を向けていこうと思います。最後に、奥・井ノ上記念日本青少年国連視察派遣団に参加させていただき、本当にありがとうございました。

二つの「グラウンド・ゼロ」を訪れて

広尾学園中学校 恩田 美

昨夏、広島平和記念資料館と爆心地(グラウンド・ゼロ)を訪れて考えるようになった、「核兵器のない世界」に向けて国際社会、そして私たち若者ができることは何かーーという大きな問いに対する自分の考えを書いた作文がきっかけで、今回の奥・井ノ上記念日本青少年国連訪問団の一員になることができました。

国連や UNICEF、イラク政府代表部など全ての訪問先で新しい学びがありましたが、中でも特に印象に残ったのが、2011年9月11日に起きた同時多発テロ事件の現場となった「グラウンド・ゼロ」と、9.11メモリアルミュージアムでした。

ワールドトレードセンター跡地には、静かに水が流れ落ちるモニュメントと犠牲者の名前が刻まれた石碑がありました。静寂の中に張り詰めたような空気が漂い、犠牲者と遺族の魂の叫びが聞こえてくるようでした。私は、広島の平和記念公園を訪れた時と同じような気持ちになり、「過ちは繰り返してはいけない」と胸に刻みました。

ミュージアムでは、胸を深く抉られるような衝撃を受けました。飛行機が衝突した瞬間の映像、呆然とした表情で現場に立ち尽くしている人、建物から飛び降りる人々の写真などが展示されていて、想像以上にショッキングな光景でした。

9.11 も私が生まれる前の出来事ですから、アメリカで大きなテロ事件があった程度の認識しか持ち合わせていませんでした。しかし、ミュージアムの工夫された展示を見て、飛行機の乗客が感じた恐怖、現場を目撃した人々の驚き、そして犠牲者とその遺族の気持ちなどを追体験することで、なんの罪もない人々がある日突然に命を奪われるテロ事件の理不尽さを感じることができました。

昨夏、広島の平和記念資料館でも、平穏な日常が一瞬にして奪われた核兵器の恐ろしさを目の当たりにしました。悲惨な過去から目をそらさず、人類の愚かな過ちを後世に伝え続けることが平和な世界構築への大事なステップであることを、私は二つのグラウンド・ゼロを訪問して学ぶことができました。

これからも得意な文章表現を通じて、より良い社会の実現に役立てるよう、学生生活を過ごしていきたいと考えています。

奥・井ノ上記念日本青少年国連訪問団に参加して

長久手市立北中学校 近藤 快

この度は奥・井ノ上記念青少年国連視察派遣団として 6日間とても貴重な体験をさせていただきました。この旅では、一生に残る思い出がたくさんできました。

ニューヨークに出発する前に、東京の国連広報センターと外務省へ訪問しました。国連広報センターでは世界で起きている問題についてお話を聞きました。話を聞いて、自分がどれだけ無知なのかを認識しました。外務省での勉強会では、国連のあり方や、国連が国の問題を解決する為の機関であること、国連で働く方々の国連に忠誠を誓う気持や心構えなどを伺い、たくさんのことを教えていただきました。

羽田空港を出発し、ようやくニューヨークに着いてまず感じたことは、なにもかもがとても大きいという事です。私はその迫力に圧倒されました。また、日本との違いに驚いたことのひとつは、多様な人種のことです。みんなが、それぞれ異なる人種や文化を認め合い共存しているのが凄いと思いました。

国連ツアーでは、様々な国から、その国を象徴するものが収められており、見学することが出来ました。特に印象に残っているものは、日本が収めたアグネス像です。この像は、正面から見るとただの石像に見えますが、後ろを見ると原爆の被害を受けて酷く削られている被爆像です。こんなに大きい石像でもこれほど被害がでる核爆弾の恐ろしさを改めて感じ、国際社会において核兵器の廃絶を目指すことの大切さを感じる事ができました。

イラク政府代表部の訪問では、国際問題や、イラク国内で続く水不足が深刻な問題になっているというお話を伺いました。また、UNICEF では、南アフリカなどの国での医療や健康についての活動を教えていただきました。世界にはまだたくさんの問題があり、それを解決するにはひとりひとりが関心をもつことが大切だと思いました。

この国連視察を通して、国連のあり方や世界問題に対する考えを深く学ぶことができました。そして、今回学んだ事をほかの人に伝え、たくさんの人が関心をもてるように活動していきたいと思いました。

奥・井ノ上記念日本青少年国連訪問団に参加して

周南市立周陽中学校 神田 愛莉

私は今回、奥・井ノ上記念青少年国連視察派遣の一員として、国際問題と真っ当に向き合う方々の貴重なお話を聞かせていただきました。

外務省訪問では、他国との交流の中で意識されていることや女性が国際社会で活躍することを強く後押ししていることについて伺いました。国連広報センターでは、ガザ人道危機のお話を例に、国境を越えることの難しさについて学びました。

そして、自分がアメリカへ派遣される目的を再度確認し、ニューヨークへ渡航しました。

国連邦人職員との昼食懇談会では、職員の方々の経歴や国際機関で働くことの魅力についてお話ししていただきました。世界という大きな舞台で働きながら、自分の理想を追い求め続ける国連職員の方々と実際にお会いすることができて、大変光栄に思いました。

スタイブサント高校訪問では、現地の高校生と趣味や互いの国の暮らしについて伝え合いました。

私が今回の研修を通して学んだことは数え切れないほどありますが、出会いを大切にすることがいかに重要であるかということを身に染みて感じました。

この 6日間、いろいろな場面で活躍されている方々と出会いました。日本からは想像もできない景色がありました。言語の壁を感じたときもありましたが、それ以上に相手に自分の思いが伝わったときの感動の方が大きかったです。また、様々な機関で働く方々と目を見て会話することができて刺激的な時間を過ごすこともできました。

私は 4月に高校生になりました。今回の研修のように、今まで見たことのない景色と出会う場面がたくさんあると思います。新たな環境でも全ての出会いに感謝することを忘れず、1分 1秒を大切に過ごしていきます。

最後に、私達の学びのためにご尽力していただいた皆様に深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

奥・井ノ上記念日本青少年国連訪問団に参加して

筑陽学園高等学校 吉田 瑚都

私たちは、奧・井ノ上記念日本青少年国連訪問団として、米国ニューヨークに派遣され、国連本部、イラク政府代表部、UNICEF, 日本政府代表部に訪問した。国連本部での経験をここに書きつけたい。

私たちは国連ツアーに参加した。国連ツアーには様々な国からの参加者がいた。国連への興味・関心を持った多くの人々が世界から集まる光景を初めて目にした。それと同時に日本人における国連への関心の低さも実感した。国連本部の前には加盟国の国旗がアルファベット順に並べられてあり、毎朝各国の旗が挙げられ、夕方になると降ろされるそうだ。国旗はその国のシンボルであり、日々大切に扱われていることを実感した。

次に国連の会議場を視察した。安全保障理事会ではガザ地区への食糧調達について会議が行われていた。私たちが国連へ訪問する前日に議決されたそうだ。ここでは 15カ国のうち 9カ国の賛成で決まるが、常任理事国が拒否権を出せば議決されない。国連は機能不全と言われているが、各国の同意のもと一つの決議が下されるのは大変難しいものだと実感した。信託統治理事会では、実際に行われている会議がリアルタイムで中継される。ここでは脱植民地化に対する会議が行われており、ガーナなどの国々が独立した。また、昨年の 12月に核兵器禁止条約の締約国会議が開かれた場所でもある。経済社会理事会では経済を発展させるため、SDGs についての会議が行われる。この場では常任はなく、選挙で 3年間の任期が決まる。

展示コーナーに行くと、世界の 1日の軍事費がリアルタイムで掲示されていた。当時の軍事費は 5,643,859,575 ドルを超えていた。この掲示は、世界が武装しすぎていて平和に対する予算が足りないことを示している。この莫大な軍事費を戦争や紛争によって犠牲になっている人々への支援物資に回すことで 1人でも多くの命を救えるのではないかと思った。また、様々な種類の地雷や爆弾も展示されていた。地雷が今でも埋まっている地域で、国連職員が子供たちにそれらを見せて触らせないようにしている。戦争や紛争が終わっても、地雷や不発弾によって苦しみ続ける人がいることを実感した。長崎の浦上天主堂でうつ伏せの状態で見つかったアグネス像も原爆の写真と共に展示されていた。私たち日本人にとっては馴染みのある展示物だが、核兵器の脅威が世界の人々に伝わる展示物であると思った。

最後に総会を視察した。総会は全ての加盟国が参加する国連最大の会議場である。ここは地球規模の問題について議論し解決していく場である。どれだけの国が携わっても地球規模の問題を解決するのは非常に困難なことであるが、この総会によってオゾン層破壊の問題を解決に導くことができた。これは各国がオゾン層破壊に対する問題に真剣に向き合い、すぐにフロンガスを撤廃したからである。国連では ACT NOW という言葉があり、今すぐに行動しなければならないという意味が込められてある。地球規模の問題は 1カ国だけが取り組んでも意味がないため、総会は世界にとって大変意味のあるものだと感じた。

この国連ツアーを通して、国際問題や地球規模の問題を解決するプロセスを視察することができた。世界には先進国もあれば、発展途上国もあり、平和な国もあれば、戦争や紛争が起こっている国もある。このように世界の足並みが揃わない中、国連によって一つ一つの問題が解決されようとしていることを感じた。しかし、国連にも解決不可能な問題は存在する。私は今回の国連での経験と大学での学び・研究を活かして将来戦争や紛争の要因を解決することができる人材になりたいと思う。

My first adventure

北杜市立甲陵高等学校 前橋 真子

「Sorry, I don't know.」NY研修中、私は何度この言葉を口にしただろう。

世界中で猛威を奮ったコロナウイルスの影響でなかなか海外旅行の機会を得なかった私は、今回初めて海外に行くという貴重な機会を頂いた。右も左も分からない私にとってこの 6日間は、それはそれは大きな冒険だった。

初めての海外に浮き足だった気持ちで飛行機に乗り込み、機内では窓の外をずっと見ていた。窓から見えた日本列島の大きさと、これから日本の裏側に行くのだというワクワクが止まらなかった。

こうして始まった初めての大冒険。時差の不思議な感覚を感じながら、私の心はマンハッタンの夜景と同じくらいに煌々と華やいでいた。しかし、13時間超の移動を経て、ようやく辿り着いた NY の街は目を疑う光景が広がっていた。どこに暮らしているのか不思議なほど、街には人が溢れ、鼻をつまみたくなるような糞尿の臭いがした。歩きタバコをする人、歩道にゴミを捨てる人。そして、そのゴミの中から食べ物を漁り持ち帰る人。地面には濁った黄色い水たまりに大量の吸殻。公衆トイレはほとんど流れておらずトイレットペーパーは引き裂かれて散乱していた。歩道の端には、沢山のホームレスがお金を募る箱の裏で横になっていた。その姿に胸がズキンと痛むのを感じた。

一方、国連本部や政府代表部付近は高いビルに青い海、そして風になびく鮮やかな国旗と佳景が広がり、タイムズスクエアでは眩しいほどの電飾が輝き沢山の動画が流れる。まさに眠らない街だった。

私が教科書の中で学んでいた NY の街は後者の華やかな世界だ。NY は、世界中の様々なバックグラウンドをもつ人が協働・共同・協同する、多文化が織り成すグローバル社会の最先端であることは確かだ。しかし、一本道を逸れるとそこは、格差の広がる街だった。華やかさの裏にある悲惨な現状までも多文化・多様性と一括りにして良いのか。誰一人取り残さない社会、SDGs を掲げる世界への発信地である国連の所在地、ここ NY がこのままで良いのだろうか。世界の中心の現状を知り、危機感を覚えると共に新たな使命感が生まれた。これは、私が世界に出るまで“知らなかったこと”、あの場所で初めて“知れたこと”である。 “I don't know.” を自分の五感を使って、一つずつ “I didn't know.” にできた。これは現地で初めて得た私の大冒険の宝物である。

そして、もう一つ。国連研修や政府代表部の訪問等を経て分かったのは、他国を理解する前に自国のことすら理解しきれていないということだ。日本は現在、非常任理事国ではあるものの唯一の被爆国として自国にしかできない発信を模索している最中である。社会や自国に対して意見を問われた際、私は答えることができなかった。それは今まで日本を基準にし、外の視点から日本を見つめたことがなかったからだ。自分の、そして日本の環境を当たり前と信じて疑ってこなかった。本当に悔しい、 “I don't know.” だった。まだまだ無知な自分がちっぽけに思え、一人の無力さに落胆した。しかし大切なのは、ここで学びを止めるのではなく、アクションを起こし続けることだ。日本が国際社会で何ができるか模索し続けているのと同じように、私が社会に何ができるのか、考え続けたい。発信し続けたい。

帰りの機内、私が気になったのは窓の外ではない。隣の席の、前の、後ろの、色々な言語を話す人々だった。彼らが生まれた国はどこだろう?その国が抱える問題は?そして、彼らが守りたいものは?世界は知らないことで溢れている。五感を使って“知ること”に貪欲になろうと思う。

世界中の人々が、他人事ではなく自分のことのように社会問題と向き合える、そんな世の中になることを改めて強く願う。いや、そんな社会を今度は私たちの手で作っていく。築いていく。そして、守り抜く。

最後に、6日間を共にした志高い 8人の仲間、日本語が上手で笑顔が素敵なスタイブサント高校の高校生、国連や政府職員の方々。この場を借りて、今回の研修で出会えた全ての方々に心から感謝の意を表します。貴重な機会をありがとうございました。

皮肉な世界で生きていく

大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎 髙橋 佑奈

人生初のニューヨーク。そこは、皮肉な世界でもありました。

遠く離れたアフリカの子ども達への支援について話し合っているユニセフのオフィスビルの前には、見向きもされないホームレスの人達が物乞いをしていました。

また、世界平和を切望し、必死で働く国連職員の方々の努力の結晶である文書も、拘束力はなく、ウクライナやガザでの戦争を終結させることは現時点では出来ていません。

今回の訪問に際し、私が事前に学習した限りでは、このような現実に対して、国連の存在について批判的な意見が大きくなっているようでした。

しかし、問題が即時に効果的に解決できてないからといって、現時点で 193 もの国が加盟し、話し合いを行う場として地球上で機能している組織は国連以外にはありません。また、代替機関を作るとしても、193 もの国を加盟させる作業を一から行うのは現実的ではないでしょう。

連日多くの罪のない命が奪われている現実に苛立ちを覚え、国連を批判してしまう気持ちも分かります。しかし、その理想の実現のためには、「核兵器を持っていたい側」「戦争を続けたい側」との交渉が不可欠です。

「理想だけでは世界平和は実現しない」これが、私が今回の訪問中にお話を伺った最前線で働く方々からのお話の中で、最も印象的だったことです。お会いした方全員が、戦争のない世界、SDGs 目標が掲げる世界の実現を切望し、日々必死にお仕事をされていました。理想を実現するためには、各国、各組織との外交による対話というアプローチを各国とのバランスを保ちながらも積み重ね、地道に続けていくしかないのです。

そして、話し合いの場に影響を与える世界規模での世論の形成。それも国連の一つの大切な仕事なのだと知りました。SDGs 目標達成のための行動やコロナ禍での外出規制等、国連は世界に対し、呼びかけ続け、世界中で取り組みを行いました。理想的な世界を渇望する世界市民たちの声が大きくなれば、現在、理想の実現を阻む行為を行っている側も変わっていく可能性は高くなります。

すぐに結果は出ない。でも、粘り強くアプローチし続ける。私達人間が人間らしく幸せに生きていくために、決して止めてはならない努力を続けていく。それが、世界がこれまで以上に繋がったこれからを生きていく私達に課せられた使命なのかも知れません。今回私は、まだまだ自分の狭い視点でしか世界を捉えることが出来ていなかったことに気づきました。また、自分の目で物事を見、インターネット上だけではなく、沢山の人に直接お話を聞くことでなくては得られないことがあるという事にも気づきました。これからもこれらを実践していきたいです。

最後に、このような貴重な学びの機会を与えて下さっただけでなく、サポートしてくださった皆様には感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。

奥・井ノ上記念日本青少年国連訪問団に参加して

愛知県立中村高等学校 松田 賢一郎 レムエル

僕は、外務省と国際連合協会主催の『国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール』において、国際連合協会会長賞をいただき、2024年3月24日 から 29日、東京とニューヨークで、国益のために働く方と世界益のために働く方々と接しました。

僕の人生が揺り動かされた学びのうち、2つにフォーカスします。

1つ目は、視野を広くして多角的に物事を見ることの大切さです。

東京の国連広報センターの根本所長は、ニューヨークに旅立つに当たり、世界に存在する不条理さに対する歯がゆさ、モヤモヤする気持ちを決して忘れてはいけないとおっしゃいました。例えば、パレスチナのガザ地区で、現在一番問題視されていることは、人口の半分にあたる約115万人の飢餓だそうです。ガザ地域に入るには、敵国イスラエルとの国境を通らねばならず、そこで長蛇の列ができている支援物資を載せたトラックが足止めを食らっているのです。僕は、これまで自分が想像しなかった国境の壁のぶ厚さに衝撃を受けました。

考えてみれば、ウクライナ、ロシア、アフガニスタン、シリア、コンゴなども同じことが言えるのです。さまざまな事情が複雑に絡み合っているのです。一方向からの情報だけで白黒付けた安易な平和はないのです。

2つ目は、バックグラウンドを理解することです。なんと驚くことに、研修でお会いした方のほとんどがこのことを仰っていました。その一人、イラク政府代表部のアリー氏はこう述べておられました。『支援をはじめる以前に、その人たちのバックグラウンド、宗教的価値観や文化を理解することが何よりも大切だ』と。僕は、本当にそうだなと思いました。確かにバックグラウンドを理解してこそ、異なる価値観、環境、生活様式を尊重し、肌の色、年齢、性別、出身が違っていても、皆、同じ人間なのだと親近感が湧きます。国家同士もそうなのです。そして、皆違っているからこそ、お互い苦手な分野や弱みはある。だからこそ、歩み寄りの話し合いが大切なのです。

国際連合が存在する究極の理由がこれだ、と僕は腑に落ちました。

最後に、今回、この研修に参加した全国の中高生 8人、高い志を持つ仲間と過ごしたことも忘れることはできません。僕たちの信念と行動が、世界中誰一人取り残すことなく、誰もが自分の大切に思うもの、愛する人を当たり前に愛せる日が来ることを願ってやみません。

学校の先生方、家族や友達、5日間を共に過ごした仲間や添乗員の山崎さん、金さん、そしてなによりこのような機会を設けてくださった外務省や日本国際連合協会の皆さんをはじめとする全ての方々に深い敬意と感謝を表明いたします。本当にありがとうございました。

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