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第67回 国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール

- 第67回(2020年度) 入賞者発表 -

外務大臣賞

八女学院高等学校 内田 万結 さん

国際社会の課題解決に、国連を始めとする国際機関が果たす役割

法務大臣賞

県立波佐見高等学校 中村 青空 さん

国際社会の課題解決に、国連を始めとする国際機関が果たす役割 - 十人十色の黒 -

文部科学大臣賞

第一学院高等学校 畑 すみれ さん

国連創設100周年の2045年、よりよい未来を迎えるための提案 - ムシできないムシの話 -

公益財団法人日本国際連合協会会長賞

都城泉ヶ丘高等学校 菊池 京子 さん

国連創設100周年の2045年、よりよい未来を迎えるための提案 - モンゴルの大地に吹く風に乗せて -

全国人権擁護委員連合会会長賞

仙台二華高等学校 齋藤 花音 さん

もしわたしが国連事務総長だったら、持続可能な開発目標(SDGs)の達成のためにこうします - 水問題の解決を糸口に -

公益社団法人日本ユネスコ協会連盟会長賞

富山国際大学付属高等学校 沼田 玲杏 さん

国連創設100周年の2045年、よりよい未来を迎えるための提案 - 世界の問題をレレバンス化することで -

日本ユネスコ国内委員会会長賞

富士見丘高等学校 中村 貴加子 さん

国連創設100周年の2045年、よりよい未来を迎えるための提案 - 持続可能な国連を -

公益財団法人安達峰一郎記念財団理事長賞

渋谷教育学園幕張高等学校 島田 栞子 さん

国際社会の課題解決に、国連を始めとする国際機関が果たす役割 - 世界というコミュニティのためにできること -

NHK会長賞

県立松江南高等学校 石倉 要 さん

国連創設100周年の2045年、よりよい未来を迎えるための提案 - 市民が多様な価値観を共有し、歩み寄る国際社会の実現 -

国際連合広報センター賞

学習院女子高等科 山田 音羽 さん

国際社会の課題解決に、国連を始めとする国際機関が果たす役割 - 真の「国際平和」を目指して -

- 特賞入賞作品紹介 -

国際社会の課題解決に、国連を始めとする国際機関が果たす役割

外務大臣賞
八女学院高等学校 1年 内田 万結

「二六八グラムで生まれた男の赤ちゃんが、東京の病院で元気に育ち退院した」というニュースを聞きました。こんなに小さく産まれた赤ちゃんが多くの人の祈りや人工呼吸器、点滴などに支えられて、三二○○グラムまで成長しての退院だったそうです。「命の尊さ・重さ」そして「医療の可能性」を思いました。ところが、今夏の初め、新聞の国際面の片隅に、国連人口基金(UNFPA)の推計・発表を目にして、いたたまれない程の衝撃を受けました。「女児六四○万人が『消失』」という見出しでした。生きていたはずなのに出産前後に性差別によって、この五年間だけでもなんと六四○万人にのぼる女児の命が消されている…つまり命が無かったことになっているという記事でした。この傾向は一九七○年から今年までの累計でも一億六千万人にのぼるというのです。信じがたい数字です。単なる数の問題ではないと思います。ひとりひとり、ひとつひとつの命に対する最悪の人権侵害ではないでしょうか。

国連は持続可能な開発目標 SDGs として「誰も取り残さない」ことを重要な柱にしての国際社会の共通の課題を一七の項目に掲げています。二六八グラムで生まれた赤ちゃんの命が多くの人の祈りの中で大切に育った。その一方で、生きているはずなのに、女児だからといって消されていく命…この不条理の解消は「誰も取り残さない」ための国際機関の果たす役割であると考えます。

世界は今、決して平和とは言えません。幸せに包まれて育つ命と生まれてくることすら拒まれる命。不公平であり、様々な格差に満ちています。そしてその一番の犠牲が社会的に弱い立場にある女性や子供達です。戦争・飢餓・貧困・病気・差別・虐待・強制労働…によって、命が消されたり、尊厳が奪われたり、不当な扱いを受けています。誰も取り残されることなく、命が守られ、人権が守られる国際社会のために国連機関が果たす役割は「貧困の解消のための国々の自助努力支援」その為の「教育」という支援哲学を国際機関のなかで構築すべきであると考えます。平和を妨げる紛争や人権侵害の根本原因は貧困です。貧困の連鎖を経つためにはどうしても初等教育を実現させ「読み・書き・計算」が出来るようになる「初等教育」こそが不可欠です。読み・書き・計算の出来る人々が、安定した職に就けるサイクルをつくり出すために、その国々の自助努力を促す教育支援の重要性を訴えます。現在、五人に一人は文字が読めず、そのうちの三分の二は女性であると言われています。子供が働くのは当たり前。学校に行くことも学ぶことも出来なかった人々が大人になっていく。その子供達もまた、学びの大切さを知らずに大人になっていくのです。最貧困・途上国という不条理の中で、生き延びることに精一杯な人々が、文字を知り、読み・書き・計算が出来るようになることにより直面する様々な困難から脱却し、貧困の連鎖を断ち切り、人権意識を向上させる…これこそが教育による効果であると考えます。

国連は、国際社会を多角度から考察し、後世や正義の道を模索しながら広範囲の活動を展開しています。国際社会を見渡しても、このような機関は他にありません。出産前後に奪われる命。命を奪われなくても許しがたい場所で不当な低賃金で労働を強いられ、遊んだり、勉強したり出来ない子供達。この子供達の誰一人も取り残してはいけないと強く思います。

ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんが言った言葉を風化させてはいけません。「一人の子供、一人の教育、一冊の本、そして一本のペン」それで世界は変えられます。

国際社会の課題解決に、国連を始めとする国際機関が果たす役割 - 十人十色の黒 -

法務大臣賞
長崎県立波佐見高等学校 2年 中村 青空

白、黒、黄色、…この3色から何を連想しますか。シマウマ?それは白と黒です。虎?黒と黄色ですね。この3色から連想されること、それは人種を区別するときの色ではないでしょうか。黒人、白人、黄色人種と、世界は肌の色によって人間を分けがちですが、大事なことが見落とされています。私が思う大事なこと、それを今からお話しします。

今年、アメリカで白人警官による黒人への暴力行為、それによって起きたデモ行進が、大きな話題となりました。自由の国アメリカで、未だに続く人種差別。憧れさえあるアメリカで、なぜこのようなことが起きたのか。歴史の教科書のできごとと思っていた差別が、今なお現実に起きることに、私の価値観は一変し、ショックを覚えたほどです。

差別をする人は、黒人は真っ黒で何だか怖くて嫌だといいます。しかし、黒が真っ黒で恐ろしい色という前提はそもそも間違っているのです。

私が所属する美術部は、全国コンクールでの入賞を目指し、毎日、油絵を描いています。たくさんの絵の具を使うのですが、一つだけ、ある絵の具の色がありません。それは何かご存じでしょうか。実は「黒色の絵の具」が置いてないのです。黒は、絶対に必要な色ですよね。髪の毛や目の色、私たちの影法師、いたる所で黒を使います。しかし、黒の絵の具だけがないのです。なぜ、ないのか、それは黒が「作れる色」だからです。「バーントシエンナ」という茶色と、「ウルトラマリン」の青を混ぜると、黒ができます。そこに、描き手の好みに応じて、赤や緑などを加えれば、その人なりの黒ができあがるのです。つまり、描き手の考え、経験、知識、思いやり、感情などで、濃い黒、淡い黒、強い黒、弱い黒などさまざまな黒を作ることができるのです。黒は真っ黒で恐ろしい黒だけではありません。淡くて優しい黒、シャープで激しい黒、まさに黒は十人十色の色なのです。

肌の黒い人にも同じことが言えます。黒い肌でも、百人いれば百人の黒い肌があります。つまり、黒い肌はその人の特徴でしかなく、人間としての価値には全く関係がありません。黒人を差別する人は、自らの醜い心を写したものにすぎません。これは当たり前の考えです。そして世界中の人々がそれを知っています。

差別を撤廃しようとして、成功した事例があります。それは南アフリカ共和国におけるアパルトヘイトの廃止です。アパルトヘイトとはフランス語で「分離、隔離」を意味します。黒い肌の色で仕事や住む場所、あらゆることが決められていた制度です。この南アフリカの非道な制度を廃止させたのは、何を隠そう国連です。国連は世界中の国々と協調し、時には厳しい制裁活動までして、アパルトヘイトを断念させました。差別は絶対にあってはいけないと世界中が声を上げ続けた結果、南アフリカでは撤廃されたのです。

現在起きている差別問題。これは制度上の問題というより、差別をする人の内面に問題があるようです。とはいえ、アパルトヘイト撤廃のように、率先して国連が差別撤廃のメッセージを発信する必要があります。そのメッセージが「きっかけ」となり、混迷する人々に希望の光を与える力が国連にはあるのですから。

最後に南アフリカ共和国で最初の黒人大統領、ネルソン・マンデラ氏の言葉を紹介します。「我々が自らの内にある光を輝かせると、無意識のうちに他の人々を輝かせることができるのだ。」今こそ国連が英知をしぼってメッセージを発信し、人々の心を明るく照らすことが求められるのです。

国連創設100周年の2045年、よりよい未来を迎えるための提案 - ムシできないムシの話 -

文部科学大臣賞
兵庫県 第一学院高等学校 2年 畑 すみれ

皆さんゴキブリはお好きですか?私も嫌いです。では絶滅すればいいと思いますか?もしそう思ったなら私の話を聞いてください。

私の母はモルフォという蝶が好きでアマゾンまで蝶を採りに行きます。それは僅かながらアマゾンの森を守るのに貢献しているそうです。え?蝶を捕まえたら環境破壊になるって?実は逆なのです。昆虫をビジネスにしている場所では森は保護されています。それが生活の糧になるからです。そこには溢れんばかりの生物の多様性を見ることができます。反対にブラジルでは昆虫を採ることは禁止されていますが、森は守られているのでしょうか。昆虫採集を禁止している国では森で稼ぐことができません。残念ながら森は次々に焼き払われ農地に変わっています。かつてブラジルにも多くのモルフォが飛び交っていましたが激減したと言われています。アマゾンを守ろうと思うなら森のままで利益があるようなシステムを構築すべきなのです。

日本には古くから昆虫採集の文化があります。子供たちはカブトムシやクワガタムシが大好きでした。しかし近年その数は減少しています。採り過ぎたから?いいえ、それは棲んでいる環境が破壊されたからです。樹液の出るクヌギが減っているのです。クヌギは下枝を刈らないと樹液が出ません。樹液がないとカブトムシは生きていけず、虫取りをする子もいなくなり、虫に興味がない子はどうすればカブトムシを守れるのか解らず、守りたいとも思いません。今、日本には絶滅に瀕している昆虫の種類がたくさんあります。そしてそれはごく一部の虫オタクな人々によって辛うじて守られています。大阪で言えばヒメボタル、千里のごく一部の地域で辛うじて生息しています。そのかけがえのない森はあと一歩で住宅地になるところでした。地域の方が必死にその土地を守ったと聞いています。ヒメボタルの光の瞬きはそれはそれは美しいのです。皆さんは見たことがありますか?

虫を知らない人にはどの森も同じ森に見えるでしょう。知らなければ守ることは不可能です。だから知って欲しいのです。例えばトンボマダラ蝶は食草のトケイソウの他にもグンタイアリの行進で飛び出す虫を狙って集まる鳥たちの糞も必要なので、その生態系がまるごとないと生きていけないそうです。一つの種を保護するのがどんなに複雑で大変なことかよくわかると思います。まだ発見すらされていない未知の種が数多く棲んでいると言われているアマゾン、なんとしても守って欲しいと思います。それは食べたり食べられたり命がけの攻防を何億年も乗り越えて得た多様性なのです。そして多様性こそがウイルスや天災から生き延びる唯一の手段だからです。アマゾンの焼畑は皆さんには対岸の火事かもしれませんが虫オタクの人たちには一刻を争う大惨事です。もし一種類の虫が絶滅すればそれに依存していた数種類の虫や植物が絶滅し、それはドミノ倒し的に広がっていき元に戻れなくなるでしょう。もし私が国連事務総長だったらアマゾンで焼畑しないよう宣言します。現地の人に森の大切さとその利益を伝授します。子供たちが虫オタクや植物オタクになるような機会を作ります。やがてアマゾンなどの生態系を守ることに関心を持つ大人になるように。世界中の科学者がアマゾンで研究できる仕組みとそれが地元の人々の生活を潤す仕組みを作ります。そして少しずつアマゾンが再生するのを助けます。そうすればアマゾンは酸素を供給し、二酸化炭素を取り込み、新種で私たちを驚かせてくれるでしょう。そこは未知の新薬の宝庫と言われています。

さて嫌われ者のゴキブリですが、実は森では倒れた樹をかじって細かくする役割を担っています。ゴキブリは三億年も前から森を守ってきた一員なのです。もちろんアマゾンも。ですから今度家の中でゴキブリと遭遇した暁には殺虫剤をお見舞いする前に、一瞬だけ、ゴキブリ大先輩に敬意を払いましょう!

国連創設100周年の2045年、よりよい未来を迎えるための提案 - モンゴルの大地に吹く風に乗せて -

公益財団法人日本国際連合協会会長賞
宮崎県 都城泉ヶ丘高等学校 2年 菊池 京子

2019年夏、私はモンゴルの大地に立っていました。広々とした草地を吹き抜ける爽やかな風は、異国に降り立った私をそっと押して、新しい未来へ運んでくれるようでした。

私は昨年7月、私の住む宮崎県都城市の主催する都城青少年モンゴル訪問事業に参加し、モンゴルのウランバートル市を訪れました。都城市は1992年頃、小型風力発電機をモンゴルに贈るという民間の協力活動をきっかけに交流を始め、1999年にウランバートル市と友好交流都市を締結し、以来小さな交流を続けてきました。法務省のまとめによれば、令和元年末、日本に住む在留外国人は290万人を超えています。そのような中にあって、2017年に総務省がまとめた「多文化共生事例集」では、実に多くの地域・団体において草の根レベルで多文化共生のための取り組みが実践されていることが分かります。私が参加した事業も、そのような多文化共生に資する活動のひとつにほかなりません。

さて、私たちの訪問事業には、同時期に留学に来ていたロシアや中国からの学生との交流プログラムも多々設けられていました。ただ、正直に言えば、私は中国人とはあまり話さない方がよいと思っていました。なぜなら、報道で目にする日中間の外交摩擦や、中国人のマナーの悪さに、中国人は教養がなく自分勝手なひとたちだと思っていたからです。だから、中国の高校生たちが私たちに日本語で「友達になってくれませんか。私たちは日本が大好きです。」と話しかけてきた時は本当に驚きました。丁寧に、しかも日本語で話しかけてきた彼らは、私の思い描いていた中国人とは全く異なっていたのです。実際話してみると彼らはとても友好的で、報道を見たときのように不快だと感じることはありませんでした。そして、その時になって私はようやく気づかされたのです。自分の中にあった中国人への先入観と、無意識の差別意識に。

社会は今、互いの違いや多様性を受け入れようというメッセージを盛んに発信しています。しかし、世界には今なお、人種差別や民族差別、性差別、障碍者差別等様々な差別が存在しています。国連の「障害者の権利に関する条約」、ユネスコの「世界寺子屋運動」など、国際機関は差別や格差を無くすための数多くの取り組みを実施してきました。国連の「世界人権宣言」採択からは実に70年以上が経っています。しかし現状は未だ変わりません。それは、解決しなければならない問題だとは分かっていても、自分とは無縁だという意識が私たちにあるからではないでしょうか。

モンゴル訪問を通して、私たちは文化や言語は違っても互いを理解し合い、差別を乗り越えられると気づきました。実際私は、中国人とも、ロシア人とも、モンゴル人とも友情を育むことが出来たのです。私たちが意識を変え、互いに歩み寄れば、小さな友情でも未来を変える一歩になるのです。都城からモンゴルに届けられた小型風力発電機は、モンゴルからの留学生を受け入れていた都城高専の先生が、遊牧生活のモンゴルの子供たちが夜の勉学に不便していると知ったことをきっかけに作られたそうです。風力発電機が送られてから27年。小さな活動は、時を越えて私に変化のきっかけを届けてくれました。異国の子供を思いやる気持ちが生んだ小さな風車は、きっと今もどこかで暖かな灯りを燈しているに違いありません。第二次大戦で多くのユダヤ人を救った杉原千畝は「世界は大きな車輪のようなものですからね。対立したり、争ったりせずにみんなで手を繋ぎあってまわっていかなければなりません」と言いました。いまこそ私たちが大きな車輪をまわすときです。誰ひとり差別によって苦しまない世界を創るために私たちにできること、それは、自分の中にある差別意識から目を背けず、お互いを知るための行動を起こし、小さな友情を大切に育んで未来へつなぐことです。2045年、差別の無い暖かな風が吹く世界を目指して。

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