第72回 国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール
- 第72回(2025年度) 受賞者発表 -
「2025年度・第72回 国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール」では、全国から 389作品の応募があり、予選を通過した 30作品の中から受賞作品が決定しました。
- 特賞 -
外務大臣賞
島根県代表 島根県立松江北高等学校 林 心菜 さん
あなたが国連の総会議場で自由にスピーチすることができるとしたら、何を訴えるか。
- 食品ロスを目の当たりにして -
法務大臣賞
山梨県代表 北杜市立甲陵高等学校 相山 心音 さん
あなたが国連の総会議場で自由にスピーチすることができるとしたら、何を訴えるか。
- 意思あるところに道は開ける -
文部科学大臣賞
長崎県代表 長崎県立宇久高等学校 中村 真帆 さん
あなたが国連の総会議場で自由にスピーチすることができるとしたら、何を訴えるか。
- 小さな島から大きな一歩 -
公益財団法人日本国際連合協会会長賞
千葉県代表 学校法人聖書学園千葉英和高等学校 草野 ひなた さん
あなたが国連の総会議場で自由にスピーチすることができるとしたら、何を訴えるか。
- 優秀賞 -
全国人権擁護委員連合会会長賞
東京都代表 淑徳与野高等学校 中北 理智 さん
今年は国連創設80周年。分断や対立が深まる中、国連が国際社会の利益に応えるために必要なことは何か。
- 未来を選び取るための教育支援を -
公益社団法人日本ユネスコ協会連盟会長賞
埼玉県代表 桜丘中学高等学校 ロビンズ 英菜 さん
多国間主義は、今どのような課題に直面していると思うか。多国間主義は今後も必要なのか。
- 新型コロナウイルスにおけるWHOの対応を例に -
日本ユネスコ国内委員会会長賞
青森県代表 青森県立名久井農業高等学校 東 結 さん
あなたが国連の総会議場で自由にスピーチすることができるとしたら、何を訴えるか。
- 食農教育で守る「いただきます」 -
公益財団法人安達峰一郎記念財団理事長賞
東京都代表 筑波大学附属高等学校 藤澤 なずな さん
今年は国連創設80周年。分断や対立が深まる中、国連が国際社会の利益に応えるために必要なことは何か。
- 国連が導くべき新たな旋律 -
NHK会長賞
茨城県代表 茨城朝鮮初中高級学校 李 希瑛 さん
あなたが国連の総会議場で自由にスピーチすることができるとしたら、何を訴えるか。
- 「知ろうとする力」がつくる未来 -
国際連合広報センター賞
愛媛県代表 愛媛県立宇和島東高等学校 都能 千愛 さん
あなたが国連の総会議場で自由にスピーチすることができるとしたら、何を訴えるか。
- 脈々と繋ぐ平和への思い~世代や国境を越えて~ -
- 特賞入賞作品紹介 -
あなたが国連の総会議場で自由にスピーチすることができるとしたら、何を訴えるか。 - 食品ロスを目の当たりにして -
外務大臣賞
島根県 松江北高等学校 3年 林 心菜
SDGs、持続可能な開発目標は、2015年9月に国連サミットで採択され、今年でちょうど10年になります。
この10年間、私自身も学校では幾度となくSDGsについて学んできました。
17の目標の一つに『12つくる責任、つかう責任』という項目があり、それを達成する為の取り組みとして食品ロスの削減があります。
食品ロスは、SDGs目標12における重要な課題の一つです。
今年の春休み、私は食品ロスと密接に関わる体験をしました。
私の両親は旅館を営んでおり、春休みは送別会や歓迎会などで多忙なシーズンとなるので、私も準備や片付けなどを手伝うことがありました。
ある日、20人ほどの宴会の片付けをしたとき、残飯の多さにとても驚きました。
片付けのはじめに10リットルのバケツに残飯を集めていくのですが、バケツ2杯分、約20リットルの残飯が出たのです。
母に聞くと、宴会の途中から、遠くの席の人と話をする為にみんなが席を立ち、それは宴会が終わるまで続くそうです。
その為途中で出されたお料理は全く手を付けられず、出された状態のままで残飯として片付けられる事もあるという事でした。
私はその残飯を片付けながら、心が痛みとても悲しい気持ちになりました。
数日後、また同じような宴会がありましたが、その日はいつもと違う事がありました。
幹事役の方が宴会の始めに「3010運動を徹底し、出された食べ物飲み物は全部ありがたく頂きましょう」と挨拶されたのです。
宴会の最中、いつもと同じようにみんなが席を立っていましたが、終わる頃になるとほとんどの人が自分の席に戻り、途中から出された料理を食べていました。
そしてその日の残飯の量は、バケツ一杯にもならない約2リットル程で、前回の宴会の量の約1割でした。
私は驚き、なんだか嬉しい気持ちになり、すぐに3010運動について調べてみました。
3010(さんまるいちまる)運動とは、宴会での食品ロスを減らすため、始まってからの30分間と終わる前の10分間は自席で料理を楽しみ、食べ残しを減らそうという運動だそうです。
その日幹事役の方がわざわざ挨拶の場で声掛けをしてくれて、その場にいた方々が意識して実行してくれた結果、目に見えて食品ロスが減ったのです。
幹事役の方の意識の高さに感心したと同時に、どの宴会でもこうなって欲しいと思い、こちらから一言言ってみるのはどうだろうと母に話してみました。
早速次の宴会の時、始まる前に母が幹事役の方に提案してみたところ、快く了承してもらえました。やはりその日も、残飯の少なさは歴然としていました。
たった数十秒の声掛け一つでこれだけの効果を得られるのだから、多くの人が知り、それが実践されていくことはとても大切なことだと思いました。
私はまだ学生なのでこの運動に関わることはできませんが、今は知識として知っておくだけでも、数年後社会人になったとき積極的に実践すれば、直接食品ロスの削減に貢献できるようになります。
そして今できることは、家族や知人にこのような運動があることを伝えたり、他の取り組みについても調べてみるなど、理解を広げていくことだと思います。
2030年までに、食品廃棄物を世界全体で半減させるという具体的な目標があります。
2015年の日本の食品ロスは646万トンでしたが、SDGsの取り組みにより2022年度には472万トンに減少しました。
日本では2030年度に、2000年度比の半減である489万トンにすることを目標としていたので、既に達成されていますが、重要なのはこの先も減少させ続けられるかどうかだと思います。
SDGs目標12『つくる責任、つかう責任』は、私たち一人ひとりの意識と行動が大きく影響する目標です。
持続可能な社会の実現に向けて、私たちも積極的に行動してみませんか?
あなたが国連の総会議場で自由にスピーチすることができるとしたら、何を訴えるか。 - 意思あるところに道は開ける -
法務大臣賞
山梨県 北杜市立甲陵高等学校 1年 相山 心音
事務総長、総会議長、そして各国の代表の皆様。私は日本から参りました高校生です。未来を担う一人として、この歴史ある場で、声を届ける機会をいただき、心より感謝申し上げます。
留学先のオーストラリアの郊外。あの日、私たちは車の列を前にして、動けずにいた。「結局最後まで待たないといけないのよ。白人は親切じゃないから…」スーパーからの帰り道、深いため息をついて呟いたホストマザーの一言。でも、その言葉はただの愚痴ではなかった。何度も経験した“拒絶”。諦めとともに漏れ出た声。片側車線は耐えることなく流れ続け、私たちが入ろうとする道は閉ざされたまま。
あの時、私が道路で目にしたものはただの渋滞ではありませんでした。差別という見に見えない壁が、私たちの目の前に横たわっていたのです。オーストラリアは多民族国家で、その半数以上がヨーロッパ系、いわゆる白人で占められています。私が通った高校は、9割が白人でした。
初めての留学。期待と緊張と共に入った高校の教室でも、差別はありました。移動教室、友達の一人が筆箱を落とし、皆でペンを拾っていました。「あれ、アジア人じゃない?」とすれ違いざまに声が聞こえました。白人の男の子たちの冷たい視線。一瞬戸惑い「え、私達のこと?アジア人…」“アジア人”と一括りにされたのは初めてだったので驚きを隠せませんでした。あの私達を見下したような目。私は気付きました。この視線も、人と人とを切り離す壁になるのだと。
学校だけでなく、買い物、レストラン、どの場面でも、人種差別を意識せざるを得ませんでした。オーストラリアの人種問題には歴史があります。18世紀からヨーロッパによる植民地化が始まり、先住民への迫害「ブラック・ウォー」と呼ばれる大規模な紛争を経て、ようやく多文化主義への変換を果たしました。けれど、差別は今も根強く残っています。それどころか、分断は世界各国で広がり、日本でもアイヌ民族への差別や移民の拒絶など差別は日々問題になっています。それが、現状なのです。
国連では国際デーの制定、人種差別撤廃条約の発効など、差別に対する対策を行っています。しかし、その一方で、加盟国に温度差があり、差別を受けている人々の生活改善につながりにくいという声が上げっているのもまた事実です。
だから私は提案します。国連と学校をつなぎ、差別の問題を自分ごととして学べる機会を作りましょう。
私は高校のユネスコ部で、発展途上国のフェアトレード商品の販売に挑戦しています。一般の参加者も集う学園祭で、自分で選んだ商品が売れたときに胸の奥から込み上げてきたのは、「教室の机の上で始めた取り組みが、社会につながった」という確かな実感でした。遠く離れた生産者が産んだ商品が国境を越えて私たちに届き、そしてわたしは、日本の一高校生として生産者の声なき声を社会につなげる力になった ― その事実に心が震えました。
学校を、ただ学ぶのではなく世界中の人々が出会い、つながる場へと変えていきましょう。人種差別撤廃を「机上の理論」から「私たちの実践」へ ― この変化こそが、差別のない未来への一歩になるのです。
今の私にできること ― それは、自分の体験から生まれたこの想いをそのまま皆さんに伝え、社会を繋げていくことです。
今、苦しい現実にいる人々に、この言葉を贈ります。
「意志あるところに道は開ける。」これは奴隷解放を推進し、差別撤廃に尽力したエイブラハム・リンカーンの言葉であり、この瞬間、今を生きる私たちの指針なのです。
私はあの「譲ってもらえなかった道」を忘れません。車列の中や留学先で感じた閉塞感は、この世界にはびこる差別の縮図のようでした。でももし、誰かがほんの少しでもアクセルを緩め、道を譲ってくれたら、私達は進むことができたのです。一人一人の「意志」の積み重ねが世界を進める一歩になる。閉ざされた道は、私達の意志で開くことが出来る。
だから私は、今ここに立っています。この声で、未来への道を切り開くために。
あなたが国連の総会議場で自由にスピーチすることができるとしたら、何を訴えるか。 - 小さな島から大きな一歩 -
文部科学大臣賞
長崎県 長崎県立宇久高等学校 1年 中村 真帆
私は将来、生まれた故郷で教師になりたいと考えています。しかし、その夢は叶わないのかもしれません。私は、佐世保市にある小さな離島宇久島に住んでいます。この島には、美しい海や温かい人々、深い歴史があると同時に、大きな課題があります。それは少子高齢化による人口減少です。現在、宇久島には約1,700人が住んでいますが、20年後には1,000人を切ると予測されています。私が通う宇久高校の全校生徒は13人です。この数字は、県教育委員会が示す学校存続のために必要な生徒数の基準を、大きく下回っています。それでも、離島に住む私たちの教育を支えようと、多くの方々が尽力してくださり、私は今、故郷で教育を受けることができています。たった13人ですが、先生方と共に生徒がしたいことを応援し実現するユビトマ企画を実施したり、離島留学制度を開始したりして、より魅力的な学校となり、多くの生徒が宇久高校に来たくなるような取組を行っています。
しかし、そうした努力があっても、私たちが愛する海によって、島が世界と隔たれている現実は変えられません。この課題は私たちの島だけのものではありません。世界中の小さな町や離島でも同じように若者が減り、高齢化が進んでいます。国連はこうした現状を鑑み、SDGs目標4で「質の高い教育をみんなに」として世界共通の課題に掲げました。しかし、この「みんな」の中に、10年度20年後の宇久島の子どもたちは含まれているのでしょうか。
その解決策として、オンライン教育に大きな可能性を感じています。ユニセフと国際電気通信連合の「Gigaプロジェクト」はインターネット環境がない学校に通信環境を整備し、授業や教材を提供しています。こうした取組の根幹にある誰一人取り残さないという想いに私は深く共感しています。オンライン教育は、僻地の子どもたちを救う力があり、宇久島の子どもたちは、オンライン教育を活用し、多くの人と交流する機会が必要なのです。
これからの時代も、子どもたちは自分の意見を自分の言葉で他者に伝える力とそれができるという自信を身に付ける必要があります。しかし、宇久島の教育環境は圧倒的に他者が少なく、それが十分にできません。狭い世界で生きることは、大きく変化する社会から取り残されるリスクをはらみます。だからこそ、他地域や海外と交流を行う仕組みが必要です。
私は世界とつながりたいという思いから、韓国やアメリカの人たちとリモートで交流しました。当日、初対面の外国の方を前に緊張しましたが、勇気を出して自分の考えを伝えると、相手は笑顔で頷いてくれました。その瞬間、距離や言葉の壁があっても心はつながると実感しました。世界とつながることはどこにいたってできると気づかされました。
将来、私は教師として国連と協力し、離島の教育に新しい価値を生み出したいです。私の役割は、子どもたちの声を聞き、学びの形を工夫し、一人ひとりが夢を描ける環境をつくることです。国連を通して宇久島と世界のこどもたちが繋がれば、「離島だからできない」ではなく「離島だからこそ生まれる学び」が実現します。離島は生徒数が少ないからこそ、生徒全員が表舞台に立つことができ、力をつける機会に恵まれています。必要なのは交流の「機会」とそれを実現する「環境」なのです。オンライン交流の機会を活かして、海を越えてでも行きたい学校にしたいです。
私たちの島は小さく目立たないかもしれません。しかし、島に住む子どもたちが、世界をよくしたいと思う気持ちは、国連のみなさんと同じです。国連の皆さん、私たちのような小さな島にも目を向けてください。生まれた場所が「できない理由」にならない世界を作っていきたいです。だからこそ、世界の知恵と力を借りてこの島の未来の教育を守りたいです。
あなたが国連の総会議場で自由にスピーチすることができるとしたら、何を訴えるか。
公益財団法人日本国際連合協会会長賞
千葉県 千葉英和高等学校 2年 草野 ひなた
みなさんは「福島」と聞いて、何を思い浮かべますか。お米、桃、豊かな観光地。そして、あの原発事故。多くの方が、どうしても事故のイメージを結びつけてしまうのではないでしょうか。実は、私の祖父母は福島県に住んでいます。ですから「福島の風評被害」は私にとってとても身近で、家族の問題でもあります。
ある日、祖父がこんなことを言いました。「あのとき、テレビでさんざんと、県の名前のついた、福島原発、福島原発と報道したから、福島というのがイメージとして残ってしまって、県全体が危ないとか、悪いとか、危険だと思われてしまったのがあったんだ。」
そう話す祖父の表情は、とてもやりきれないものでした。祖父は原発からおよそ6.0kmも離れ、実質的にはほとんど放射線の影響を受けなかった。福島県石川町で生まれ育ち、農家を営んでいます。震災後、長年に及び、コメの単価は半値以下となってしまったそうです。「長年、自然とともに暮らし、土地を愛し続けてきた人が、自分のふるさとを正しく見てもらえないことに苦しんできたんだ。」普段は冗談を言って笑わせてくれる祖父が、深く沈んだ声でそう語るとき、その背中が少し小さく見えたのです。同時に私は「風評被害」という言葉の裏にある、人の心の痛みを強く感じました。
本来なら誇りを持てるはずの土地や作物が、ただ「福島」という名前だけで敬遠される。安全性を証明するデータがいくらあっても、「怖い」という印象のほうが勝ってしまう。そこには、事実ではなく”言葉“によってつくられたイメージが深く関わっています。どう伝えるかが、こんなにも未来に影を落とすこともあるのだと気づかされました。
祖父だけでなく、私の姉も風評被害に苦しんだ一人です。姉は、医療施設で事務として働く医療従事者です。新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るい、まだワクチンの開発もされていない頃、事件は起こりました。その医療施設において、感染者が発生したことを早々と公表すると、「責任をとれ」「感染者の居住区を教えろ」といった電話が昼夜を問わずかかってきたそうです。まもなく噂は広まり、施設は閉鎖に追い込まれました。姉の話では、保健所の指示に従って適切に感染対策をおこない、患者を受け入れる体制は十分に整っていたにも関わらず、地域の人々の医療に貢献したいという医療従事者たちの思いは打ち砕かれたのです。
非常に身近なところで風評被害の影響を知る機会があり、これを大きな社会問題として捉え、対策を講じていく必要があると考えるようになりました。情報を正しく伝える、受け取ることを実現するために、自分の頭で考えること、疑うだけでなく”確かめる“を当たり前にすることが求められていると思います。
風評被害に苦しんだ福島も、私の姉の医療施設も、ただ「被害者」でありつづけることはありませんでした。風評払拭のため、必死に正しい情報発信等に取り組み、闘い続けました。自然の恵みも、人々の笑顔も、確かに福島にはありました。また献身の光も、不屈の支えも、感染者が発生した医療施設にはあったのです。祖父や姉の悲しそうな顔を、忘れることはないでしょう。だからこそ、福島が、「危険な場所」ではなく「力強く生きる人々のふるさと」というイメージに変わっていくことを望みます。地域医療に貢献したいと、患者と共に病に立ち向かった医療施設が、「恐ろしい場所」ではなく「勇気を持ってそれに立ち向かった医療従事者と患者がいた場所」であったと知って欲しいのです。
言葉ひとつが人の心を傷つけることもあれば、逆に未来を照らす光になることもあります。わたしは繰り返し訴えたい、自分の頭で考えること、疑うだけでなく“確かめる”を当たり前にすることが、皆に求められていると。これを聞いてくれている人の中にも、言語や文化を超えて、同じような境遇で追い詰められている人がたくさんいると思います。そんな人々の心を、私の言葉で癒やしたい。「大丈夫、きっと乗り越えられる」と。正しい知識をもって行動し、認め合える日が必ず来ると、信じて。