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第58回 国際理解・国際協力のための全国中学生作文コンテスト

- 第58回(2018年度) 入賞者発表 -

外務大臣賞

松江市立八雲中学校 石倉 要 さん

食べ物などの限りある資源を大切にするために,自分には何ができるか。 - 能楽とキノコで森を再生する -

文部科学大臣賞

新潟大学教育学部附属新潟中学校 古泉 修行 さん

国と国が仲良くするために,自分には何ができるか。 - 体験から学んだ「知ること」「伝えること」の重要性 -

公益社団法人日本ユネスコ協会連盟会長賞

鹿児島大学教育学部附属中学校 前田 葵 さん

食べ物などの限りある資源を大切にするために,自分には何ができるか。

公益財団法人日本国際連合協会会長賞

浦和ルーテル学院中学校 砂川 友美子 さん

国と国が仲良くするために,自分には何ができるか。

公益財団法人安達峰一郎記念財団理事長賞

広島女学院中学校 舛本 美結 さん

国と国が仲良くするために,自分には何ができるか。

NHK会長賞

南砺市立井口中学校 山﨑 充眞 さん

日本国内外で困っている人々のために、自分には何ができるか。 - 実感あるボランティア活動を行うために -

国際連合広報センター賞

江戸川学園取手中学校 木村 理乃 さん

日本国内外で困っている人々のために、自分には何ができるか。 - SDGsで世界をつなげるために -

金賞

射水市立大門中学校 澤谷 松風 さん

国と国が仲良くするために,自分には何ができるか。

白百合学園中学校 小林 美桜 さん

国と国が仲良くするために,自分には何ができるか。

高知県立高知国際中学校 竹森 圭 さん

食べ物などの限りある資源を大切にするために,自分には何ができるか。 -「食」で世界を平和に -

銀賞

柏市立柏第四中学校 小寺 泰暉 さん

食べ物などの限りある資源を大切にするために,自分には何ができるか。 - ストローが起こした問題 -

横浜市立大鳥中学校 竹内 日陽里 さん

食べ物などの限りある資源を大切にするために,自分には何ができるか。 - 世界が動く、中学生が動き出す -

名護市立羽地中学校 平良 綾夏 さん

日本国内外で困っている人々のために、自分には何ができるか。

佳作

郡山市立緑ヶ丘中学校 祓川 純風 さん

国と国が仲良くするために,自分には何ができるか。 - キッズ イン ザ フライヤー -

明治学園中学校 藤井 結意 さん

国と国が仲良くするために,自分には何ができるか。

神戸女学院中学部 山崎 和奏 さん

国と国が仲良くするために,自分には何ができるか。

京都府長岡京市立長岡中学校 楠 実夢 さん

国と国が仲良くするために,自分には何ができるか。

屋代高等学校附属中学校 小山 鉱輝 さん

国と国が仲良くするために,自分には何ができるか。 - 私ができる世界平和 -

- 特賞入賞作品紹介 -

食べ物などの限りある資源を大切にするために,自分には何ができるか。 - 能楽とキノコで森を再生する -

外務大臣賞
島根県 松江市立八雲中学校 2年 石倉 要

「我見ても久しくなりぬ住吉の。岸の姫松幾代経ぬらん。」これは、能「髙砂」の一節だ。 「髙砂」は、松の精が千年の松の緑を寿ぎ、舞う演目だ。僕は、小学校の頃から能楽の謡、仕舞、能管を稽古している。能楽は、ユネスコ無形文化遺産だ。僕はこの夏、「髙砂」の主役、松の精を岡山の後楽園の能楽堂で、能楽の六百年を超える歴史を思いながら舞った。純日本庭園に立地する能楽堂で、僕の魂は、自然と一体化した。

「髙砂」に象徴されるように、長生きやめでたい植物として大切にされてきた松ではあるが、現在、保護するのが厳しい状況になっている。松だけではない。世界中の森林の破壊も問題になっている。今年の猛暑や豪雨は、世界中の人々に大きな警鐘を鳴らしている。これからの百年で、世界の気温は四~五度も上昇するとも言われている。国連の、2015年に持続可能な開発目標(SDGs)でも、気候変動対策が取り上げられている。

僕が対策として注目するのは、里山の再生だ。きっかけとなったのは、去年、学校で行った植林体験だ。里山のしくみを学んだあと、実際に草を刈ったり、木を植えたりしてみると、里山の保護はとても手間のかかる作業の積み重ねであることがわかった。しかし、友達や先生と一緒に作業した後は、大きな達成感があった。里山では、大きくなった木を伐採して地上に光を注がせることも、大切なエネルギー循環であることもわかった。この体験から、里山に地球の未来を変える力があると信じた僕は、鳥取大学の「めざせ!環境博士、ジュニアドクター育成塾」に参加し、環境保護の最先端の研究を学んだ。この基礎研究には、鳥取や兵庫の三十七人の生徒が参加し、地球温暖化の解決策についての討論を行った。仲間と討論し、考えることは難しかったが、力を合わせれば問題解決の糸口が見つけられることもわかった。僕は、森の再生につながるキノコ学を専門的に学ぶため、選抜試験を受けた。レポートや、プレゼン、面接で課題をクリアし、キノコについて研究を始めた。キノコは菌類でできており、森の分解者だ。菌糸から酵素を出し、落ち葉や倒れた木を分解し、エネルギー変換する。キノコが正常に分解機能を発揮すれば、森のエネルギー循環も安定してくるに違いない。

僕は、キノコを採取、培養し、キノコの生活様式による菌糸の伸びを調べている。毎日菌糸の伸びを観察したり、研究したりするのはとても楽しいが、研究の方向性について悩むこともある。そんな時、心の支えになっているのは、シニアメンターの泉先生の「能楽に代表される日本人の自然観は、西洋科学にはない考え方だ。自然を利用するのではなく、自然自体に魂があると考える日本人の生き方は、これからの世界の科学の在り方を変える可能性がある。未来を拓くためにがんばってほしい。」という励ましだ。世界中の人々の自然に対する思いは、千差万別だ。宗教や生き方、貧富の差などによって大きく対立することもあるだろう。考え方の違いは、森の再生への温度差を大きくしたり、争いに発展してしまったりすることにつながりかねない。

しかし、僕には能楽がある。里山を元気にしていく研究や活動の中で、データや実践などで他国の人を論破する手法をとるのではなく、僕が六百年以上続いた能楽や日本人が大切にした生き方も合わせて伝えていくことで、僕の提案に耳を傾けてもらったり、互いの考え方に折り合いをつけたりしていきたい。僕は、これから、能楽とキノコで森を再生する。そして、将来、森の中に森の木で作った能楽堂を建設するつもりだ。人間と自然が共存し、限りある資源を大切にしていくことを文化として継承する決意だ。

国と国が仲良くするために、自分には何ができるか - 体験から学んだ「知ること」「伝えること」の重要性 -

文部科学大臣賞
新潟県 新潟大学教育学部附属新潟中学校 2年 古泉 修行

カンボジア・プレアヴィヒア州は、深刻な水不足問題を抱える。僕は今年八月、安全な水確保に向けて井戸を建設する支援事業に参加し、現地を訪れた。途上国の生活を実際に肌で感じたいという強い思いがあったからだ。

僕は小学四年生の時、ある本をきっかけに、初めて途上国の暮らしを知った。その日本とかけ離れた生活を知り、衝撃を受けた。最もショックだったのは、彼らの抱える問題が命を脅かしているだけでなく、将来の夢や、個人がもつ可能性など、未来をも奪っているということだった。僕は、世界中の子どもたちが、将来の夢に向かって自由に挑戦できたらいいと思い、啓発活動を始めることを決めた。

多くの人にこの現状を知ってもらうため、四年生の春から途上国の現状を描いた自作のポスターを塾に掲示させてもらってきた。また、六年生の夏には、ニューヨーク国連本部に行き、国連が全世界に向けて定めた目標、「SDGs」について学んだ。これは、二〇一六年から一五年間で達成すべき 一七の持続可能な開発目標である。貧困や飢餓など途上国問題から、経済成長やエネルギー問題など先進国に向けた課題まで、全世界で取り組み、地球上の誰一人として取り残さないことを目指すものだ。世界の問題は多岐に渡る。水不足などの天災や戦争などの人災。この様々な問題を解決するためには、国同士の協力が最も大切だ。互いの得意分野を活かすため、僕は途上国の人と直接交流したいと強く思った。

僕が参加した支援事業は、井戸設置と並行し、魚の養殖事業を行うものだ。初年度の二〇一七年は、募金による日本の援助で、カンボジア政府と協力して開始。養殖技術を現地住民に教えることで雇用が生まれ、その後の養殖場の収益により、今年度からは募金に頼らず井戸と養殖場を増やすという持続可能な計画だ。井戸は抽選で決定され、一二〇〇世帯中、二四〇世帯に設置された。驚いたことは、井戸がある家とない家の助け合いが全くないことだった。井戸のない家では、釜に雨水を溜めて生活用水にしている。井戸のある家の水を皆で分け合うことはないのだ。仲が悪いわけではなく、教育を受けていないがために、互いに助け合うという知恵をもち合わせていなかったのだ。養殖場についても、日本の指導者の教えを忠実に実行するものの、自ら向上を目指し学ぶ姿勢はない。僕たち日本人に対し、合わせた両手を高く挙げ、心からの感謝を繰り返す。その姿を見て僕はとても悲しくなった。全くの受け身だったからだ。「これでは駄目だ。もっと貪欲になるべきだ。」そう叫びたかった。日本人なら、自分が望む生活に向けて方法を模索し、学び、努力する。勿論、途上国にも向上心をもった意欲的な人は多い。しかし、僕が訪れた村では、その姿勢を感じることはできなかった。彼らに今の生活が全てではないと知ってほしい。もっと違う世界があることを感じてほしい。もっと自分の可能性を伸ばしてほしい。同じ人間として、そう強く思わずにはいられなかった。

途上国では全てが足りないと感じた。物資も、知恵も、それらを援助する人々も。そして、水問題の裏にある教育や地域コミュニティ不足など、他の問題の存在も浮き彫りになった。僕は今後も積極的に現地を訪れる。現地で当事者として生活することで、多面的な情報収集や問題の根本原因を探ることができると知ったからだ。そして何より直接顔を見て語り合い、手を触れ合って交流することは、一番心が伝わると実感した。並行して、日本では多くの人にできるだけリアルに現地のことを伝えていく。多くの人が知ることで援助も多様化するからだ。互いが知り、そして伝える。知り合うことでパートナーシップが活性化し、各々がもつ違いを活かすことで成長に繋がる。まず、各国内での協力体制を強化。それを世界に広げていく。そのために僕は声を上げ続ける。発信することで心伝わり、その継続が世界の人々を結ぶと信じているから。

食べ物などの限りある資源を大切にするために,自分には何ができるか。

公益社団法人日本ユネスコ協会連盟会長賞
鹿児島県 鹿児島大学教育学部附属中学校 3年 前田 葵

1万トン。モンゴルのウランバートルにある第4火力発電所で、1日に燃やされる石炭の量だ。世界にある火力発電所のなかのたった一カ所で、毎日こんなにも大量の石炭が消えていく。

私はこの夏、JICAの海外研修で、モンゴルへ行った。日本の支援を受けて造られた学校や病院など、様々な施設を見学し、日本とモンゴルの深い繋がりについて多くを学ぶことができた。

その中で一番強く印象に残ったのが、モンゴル最大級の発電所である第4火力発電所の見学だ。ここでは、1500人もの人が働いているという。高さ250メートルもある煙突や、日本の横河電機のシステムを使った近代的なコントロール室など、様々なものを見た。巨大な発電施設の迫力に驚くと共に、日本とモンゴルの繋がりを感じて嬉しく思った。

しかし、石炭の貯蔵庫を見学しているとき、案内してくださった方から聞いた1万トンという数字に、私は大きな衝撃を受けた。現在世界で使われている電気の4割は、石炭から作られている。人類がこのままのペースで石炭を使い続けると、あと120年ほどで地球の石炭はなくなってしまうそうだ。私たちの子孫が将来にわたって安定的に電気を使うことができるよう、今を生きる人々が何らかの対策を講じる必要があるのではないか。

ここで思い浮かんだのが、国際連合が掲げる17の目標、「SDGs」だ。この中には、エネルギーに関する目標も含まれている。

「SDGs」のスローガンはどれも、早急に解決すべき問題を的確に表している。そして、国際連合や関係団体の方々は、目標達成に向けて日々努力されているのであろう。しかし、これらのスローガンだけでは、私たち一般人には、具体的にどうすればよいのかがわかりにくいように思う。

そこで私は、新たなキーワードを考えた。「ARC(アーク)」だ。

初めに、A は「Act(行動する)」だ。目標を立てただけで満足し、漫然とスローガンを叫ぶだけで行動を起こさなければ、何も変わらない。目標を立てたら、それを達成するための一歩を踏み出すことこそ重要なのだ。

次に、R は「Reduce(減らす)」だ。人類が持続的にエネルギーを利用するためには、まずエネルギー消費を抑えることが重要だ。当たり前のことだが、節電を意識し、必要がないときは電気を消すなどの簡単なことで、消費電力を減らすことができ、ひいてはそれが石炭などの資源の節約に繋がるのだ。

最後に、C は「Cooperate(協力する)」だ。個人個人がエネルギーを節約しようという意識を持つことは大切だ。しかし、たった一人でいくら努力をしても、全体から見れば、その効果は本当に微々たるものだろう。だが、身近な人に呼び掛け、協力し合えば、より大きな効果を得ることができる。

私は、将来国際連合の職員となり、「SDGs」とこの「ARC」を融合させた事業を立ち上げたい。ただ、エネルギー消費を抑えたとしても、人口増加や開発途上国の発展に伴い、今以上に多くのエネルギーが今後必要となることは明白だ。そこで私は、国際連合内外の諸機関とも連携し、事業の中で、再生可能エネルギーの利用促進や新たなエネルギー資源の開発などにも取り組みたいと思う。

「ARC」は、エネルギー問題に限らず、世界の多岐にわたる問題の解決にも応用できる考え方ではないだろうか。私は今後、この「ARC」を身近な人に伝え、できるだけ多くの人と協力して世界の諸問題の解決に努めたい。私たちの子孫が、平和で美しい地球で笑って暮らせる、そんな未来を創るために。

国と国が仲良くするために,自分には何ができるか。

公益財団法人日本国際連合協会会長賞
埼玉県 浦和ルーテル学院中学校 3年 砂川 友美子

二〇一六年五月二十七日、学校帰りの私は母の運転する車に乗りラジオを聴いていた。その日、オバマ・アメリカ合衆国大統領が被爆地広島を訪問、そのとき聴いた大統領の演説は私の心に深く残った。日本人が抱く戦後七十一年の想いに、その演説はどう響いたのだろうか。そう思ったとき、祖父母の顔が頭に浮かんだ。

祖父母は私に、戦争の話をしてくれたことがある。終戦直前、日本の戦闘機が家の裏に墜落、祖父は亡くなった人を探しお墓を建て、亡骸を埋葬したと話してくれた。また、祖母は東京大空襲を鮮明に記憶している。その夜、空襲警報が鳴り外に出ると、低空飛行する B29 がすぐそこに見えた。バラバラと落とされる焼夷弾の破裂音、火の海と化した街。炎がパイロットの顔を照らし出し、幼かった祖母は足がすくんだ。隣組の班長さんの引く紐につかまり、なんとか飛鳥山防空壕へと逃げ込んだ。翌朝外に出ると、そこは一面の焼土となっていた。祖母の家は焼け落ち、水道管が破裂し辺りに水が飛び散っていた。何も無くなった、祖母は空を仰いだ。すると遠く隅田川の上空が真っ赤に染まっていた。街を焼けつくす炎で。今は恨みも憎しみも無いと、祖父母が話していたのを思い出した。

広島でのオバマ大統領の演説を聴いてから、この祖父母の想いをアメリカに届けたいと思った。それから二年後となるこの夏、私はアメリカに向かった。カバンには祖父手作りの抹茶茶碗を詰め込んで。

祖父は陶芸が趣味で、この日のために桜の絵付けをした京焼の茶碗と、織部焼の沓形茶碗を作ってくれた。祖母から抹茶の点て方を教わり、八月上旬 ホストファミリーの元へ向かった。抹茶を差し上げたいという私の提案を、彼らは歓迎してくれた。まず和菓子をいただき、次に抹茶をゆっくり味わう。抹茶の深みと爽やかな香りが口の中にふわっと広がる。祖父の茶碗はホストファミリーの両手に包み込まれた。彼らもお点前に挑戦。少し恐々、でも楽しそうに茶筅を振る姿を目にしたとき、一服の抹茶が私たちの心をつなぐのを感じた。ただそれだけで笑みがこぼれる。国や民族、信教のちがいを超えて、私たちはつながり合うことができるのだと感じた瞬間だった。今回、外から日本を見たことで日本のすばらしさを、アメリカの地に飛び込んだことでアメリカのすばらしさを実感した。和菓子にみる日本人の季節感や色使いの繊細な表現は、私の中で特に際立った。まず目で次に舌で味わう、もてなしの心である。またアメリカ人の明るく人を包み込むやさしさ。困ったことがあると自分のことのように、私に寄り添ってくれた。国を超えた深い友情を育み、私は帰国の途についた。

帰国後、国際社会の中で日本が果たす役割について、祖父母と話し合った。今日の平和は、悲惨な戦争を経験した先人たちの努力によって得られたものである。世界で唯一原子爆弾の被害にあった国だからこそ、敗戦から経済復興をとげた国だからこそ、私たちにできる国際協力があると思う。資金や技術協力の他に、心の交流を通して平和な世界を築いていく。紛争地域や難民キャンプに暮らす人たち、飢えや貧困に苦しむ子供たちに届けられる援助物資には、それに携わるスタッフの温かい心が込められている。その心には平和を育む力があり、私たちはそれを大切に育てていかなければならない。そのためにも私は世界に目を向け、日本を見つめ直す。それぞれのすばらしさを知れば、自分とちがう相手を理解し尊重することができると思うから。平和は私たちと共に歩み続ける。私はこの小さな一歩を力強い歩みへと育て、国と国が仲良くするための一翼を担っていきたい。

最後に、祖父手作りの抹茶茶碗は、一つをアメリカのホストファミリーの元に、もう一つを私の手元に置き、友情の証としたことを書き添える。

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