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第59回 国際理解・国際協力のための全国中学生作文コンテスト

- 第59回(2019年度) 入賞者発表 -

外務大臣賞

早稲田佐賀中学校 板垣 仁菜 さん

性別に関係なく,一人ひとりが輝く国際社会の実現に向けて自分には何ができるか。 - あなたは赤いランドセルを背負う男の子をどう思いますか? -

文部科学大臣賞

射水市立小杉南中学校 北林 愛里咲 さん

違う価値観を持つ人たちと共存するためにどうすべきか。

公益社団法人日本ユネスコ協会連盟会長賞

栃木県矢板市立矢板中学校 廣瀨 絢菜 さん

性別に関係なく,一人ひとりが輝く国際社会の実現に向けて自分には何ができるか。 - ライフラインをつなぐために -

公益財団法人日本国際連合協会会長賞

平塚市土沢中学校 和田 あやな さん

性別に関係なく,一人ひとりが輝く国際社会の実現に向けて自分には何ができるか。 - ジェンダー平等を実現するためにわたしができること -

公益財団法人安達峰一郎記念財団理事長賞

市川学園市川中学校 渡辺 果蓮 さん

性別に関係なく,一人ひとりが輝く国際社会の実現に向けて自分には何ができるか。

NHK会長賞

関西創価中学校 武田 美紀子 さん

災害に強い街づくりのために,私たちが国際社会と共にできること。 - 世界を感謝の笑顔でつなごう -

国際連合広報センター賞

白百合学園中学校 松本 紗來 さん

違う価値観を持つ人たちと共存するためにどうすべきか。 - 「地球人」としての自覚 -

金賞

長崎県立諫早高校附属中学校 吉岡 優衣 さん

違う価値観を持つ人たちと共存するためにどうすべきか。 - 無知の知 -

渋谷教育学園渋谷中学校 北尾 陶子 さん

違う価値観を持つ人たちと共存するためにどうすべきか

松江市立八雲中学校 石倉 要 さん

災害に強い街づくりのために,私たちが国際社会と共にできること。 - 防災を地球規模で考え、話し合う -

銀賞

盈進中学高等学校 塩川 愛 さん

違う価値観を持つ人たちと共存するためにどうすべきか。 - 被爆証言を世界へ、違いを超えた連帯を -

土浦日本大学中等教育学校 網永 莉々 さん

性別に関係なく,一人ひとりが輝く国際社会の実現に向けて自分には何ができるか。 - 世界に教育を届けるために私が出来る事 -

明治学園中学校 杉尾 あかり さん

違う価値観を持つ人たちと共存するためにどうすべきか。

佳作

大津市立日吉中学校 奥村 咲耶子 さん

性別に関係なく,一人ひとりが輝く国際社会の実現に向けて自分には何ができるか。 - 普通って何だろう -

須賀川市立西袋中学校 澤井 晶 さん

性別に関係なく,一人ひとりが輝く国際社会の実現に向けて自分には何ができるか。

白陵中学校 北村 柚葉 さん

違う価値観を持つ人たちと共存するためにどうすべきか。

京都府木津川市立木津中学校 河原 真子 さん

違う価値観を持つ人たちと共存するためにどうすべきか。

AICJ中学校 ワイティング 塁 さん

災害に強い街づくりのために,私たちが国際社会と共にできること。 - 自然と共生する社会を目指して、西日本豪雨災害を受けて -

- 特賞入賞作品紹介 -

性別に関係なく,一人ひとりが輝く国際社会の実現に向けて自分には何ができるか。 - あなたは赤いランドセルを背負う男の子をどう思いますか? -

外務大臣賞
佐賀県 早稲田佐賀中学校 2年 板垣 仁菜

私には 9歳離れた弟がいる。3歳の頃、弟は赤と青の風船があると、必ず赤を選んでいたし、私のお下がりのピンクのシャツを喜んで着ることもあった。しかし、その服を着ると必ず親戚は言うのだ、「女の子みたいね?」と。私は性差が後天的に、本人の好みと無関係に形成されていく過程を目にした。ランドセルの赤は女の子、トイレの案内も女性は赤であり、水筒も文具も明らかに男の子はブルー系、女の子はピンク系が多いのだ。そして今、弟は、赤を選ぶことはなくなった。

「一人ひとりが輝く」すなわち幸福を追求する時に、性別を理由に妨げられることはあってはならない。その根底には、多くの社会問題に波及している「差別」というやっかいな認知が存在している

私は、色覚異常を有した曾祖父が様々な差別を受けたことを聞き、一年間、色覚異常と指摘された方々の色認識実験を繰り返した。その結果、色覚異常は、色覚多様性と表現されるべきものであり、かつ、光の感度においては一般よりもより優れていることも判明した。私はその事実をシンガポールで開かれた中高生の国際課題研究コンテストで発表したところ、日本人だけでなくアジア各国の学生も、大多数と異なることが劣っているということではないということに賛同してくれた。誰もが違いを理解すれば、差別は生まれないのだ。性差に関して言えば、性同一性障害も性の認知の違いであって、決して障がいと称されるべきものではないのではないか。私は、簡単に世の中が「障害」と言う言葉を使うことに、大きな危機感を覚えるのだ。

日本には様々な性差による差別が存在する。UN-Womenは、女性のエンパワーメントをはかり、男女間の平等の達成を目指すが、社会進出の面で、日本の女性管理職比率は 11%で、欧米アジア主要国が 30%を超えている現実を考慮すれば、著しく低い水準にある( 2016年労働政策研究・研修機構 )。また、北欧諸国の男性の育児休業率は 80%を超えている一方、日本は 3%台( 2016年度雇用均等基本調査 )とほど遠い。しかし、私が注目したいのは、すべての国で女性の地位が低いわけではないということだ。すなわち、日本を含め特定の国において性差が著しいという事実は、「差別」が生来のものではなく、特定の社会環境によって後天的に、本人の意図と無関係に、形成されている可能性があるのだ。

国際社会で考えれば、性差だけではない。人種、宗教、経済・政治システムの違いが「差別」意識を生み、いかに多くの社会問題が発生しているだろうか。多くのテロリズムや宗教闘争の裏に、「差別」が作り出した貧困伝染病の蔓延、教育格差、幸福追求の機会喪失があったことを私達は決して忘れてはならないのだ。

国際社会で一人ひとりが輝くためにできること、それは「差別」を生み出しているかもしれない自分の認識を疑うことだ。ある国土や環境で育てば、私達には望むと望まざるとある一定の価値観が芽生えている。それは自分にとっては、今の自分を支える価値観だが一方で他者にとっては差別を生む「偏見」となりうるのだ。もちろん、自分自身を支える価値観を疑うことは相当の勇気を必要とするだろう。もしかすると、善いことと思っていた行為が誰かを苦しめていたことに気づくかもしれないのだ。しかし、他者を貶めることによって生まれる価値にはなんの意味もない。自分の価値と幸福は他者との比較でなく、自分自身の中で見出さなければならないのだ。

性別・人種・宗教などあらゆる違いを理解すること、すなわち多様性を認めるためには諸国の文化や歴史を深く学ばねばならない。相手と自分の環境の違いを深く背景から理解し、その上で、敢えて自分の常識を揺るがす勇気を持って、「差別」を生み出さない思考と努力を私は生涯続けていく。それが誰もが輝く社会への一歩になると確信している。

違う価値観を持つ人たちと共存するためにどうすべきか。

文部科学大臣賞
富山県 射水市立小杉南中学校 3年 北林 愛里咲

私は生まれてから小学校を卒業するまでの約十二年間、バングラデシュの首都ダッカで暮らした。バングラデシュは父の母国であったが、日本人の母や日本のパスポートを持ち、日本人学校へ通っていた私は、バングラデシュでは外国人だった。バングラデシュでの暮らしの中で私が最も楽しみにしていたのは、長期休暇に父の田舎に遊びに行くことだった。田舎では誰もが私を外国人としてではなく、古くからの友だちや親戚のように受け入れ接してくれた。ダッカでの暮らしは隣近所ほとんど付き合いがなく、学校がなければ私は寂しさに耐えられなかったと思う。だから田舎での人との温かい繋がりが本当にありがたかった。私は、外国人にとって異国で暮らすとき最もつらいのが「孤独」であり、最も幸福を感じるのは現地の人々に受け入れられたときであることを身にしみて感じた。

私にとって、忘れられないダッカの光景がある。毎朝学校へ行くときに見た、在バングラデシュ日本大使館前にできたバングラデシュ人たちの長蛇の列だ。彼らは日本への憧れや期待で胸を膨らませ、日本滞在・就労ビザ申請のために何日も何日も辛抱強く列に並んでいる。その中のほんのわずかな人だけが念願のビザを手に入れる。しかし、残念なことに、日本に馴染めず帰国してしまう外国人がいる。私は、日本で働くことになった夫に同行して日本に来たバングラデシュ人の夫人が、話し相手もなく、孤独に耐えられずに帰国してしまったことを知り、胸が痛んだ。買い物をする彼女を私は度々見かけて気になっていたのに、話しかける勇気がなかった。

日本では人材不足解消のため、外国人労働者の雇用拡大が始まった。今後ますます日本で暮らす外国人は増え、周りで外国人が生活していることが珍しくなくなるだろう。共存のために、異文化の背景をもつ外国人を理解することが必要だとよく言われる。しかし私は、理解する前にまず、関心をもち、関わることが大切だと思う。見ず知らずの地で不安や寂しさを抱える外国人が最も必要としているのは、人との温かい繋がりだからである。

しかし、関心があっても、文化が異なり言葉も通じない相手に関わっていくには相当の勇気がいる。また、日本人には、控えめで、言いたいことがあっても遠慮して言えない人が多い。私は両者を橋渡しするコーディネーターがいれば、地域住民と外国人とが繋がりやすくなるのでは、と考えた。私が住む富山県に最近、外国人からの相談を受け付ける窓口が開設されたが、地域住民からのアプローチもなければ交流は生まれないし、続かないだろう。コーディネーターは、地域に暮らす外国人を住民に紹介し、関心をもってもらう。交流できる機会や場を提供する。両者の互いに対する思いや悩みに耳を傾け、双方に伝える。両者を繋ぐこのような働きによって、地域社会の中に外国人が溶け込みやすくなり、孤立することがなくなればいいと思う。

国連には、国際移住機関という世界的な移住問題を扱う専門機関がある。この機関が掲げる、「正規のルートを通して、人としての権利と尊厳を保障する形で行われる人の移動は、移民と社会の双方に利益をもたらす」という基本理念に私は衝撃を受けた。外国人との共存は、日本社会に益をもたらすものなのだ。それは、私たちがまず外国人と関わり、温かい繋がりが生まれ、両者が幸福になれたときに実現するだろう。外国人が日本に馴染むのを待っていては決して実現しないのだ。

私は、希望を抱いて日本に来てくれた外国人に夢をかなえてほしいと心から願う。だがら、私の心の慰めとなってくれた父の田舎の人たちへの感謝を支えに、勇気をもって外国人に接していきたいと思う。そして将来、私自身が外国人と日本人の橋渡しをする役割を担い、両者の幸福と利益に貢献したい。

性別に関係なく,一人ひとりが輝く国際社会の実現に向けて自分には何ができるか。 - ライフラインをつなぐために -

公益社団法人日本ユネスコ協会連盟会長賞
栃木県 矢板市立矢板中学校 3年 廣瀨 絢菜

「彼らには時間がありません。」ユニセフの国際支援の CMの最後はいつもこの言葉で締めくくられています。そこにはマラリアや肺炎で死に瀕した赤ちゃんや、ひどい食料不足のために極端な発育不良の赤ちゃんが映し出されていました。それらを目にする度に、私は胸が締め付けられていました。なんとかあの子たちを助けたいと思ったのです。

その考えが頭から離れなかったある日、道徳の授業で一年間自分の毎月三千円の小遣いを全て寄付していた中学生がいることを知りました。自分にもできるか考えましたが、私の小遣いは毎月二千円、継続的に寄付するのは難しいと思いました。例えば、ユニセフのマンスリーサポート・プログラムは二千円、できれば三千円、ワールドビジョンのチャイルド・スポンサーシップは四千五百円が必要です。マンスリーサポート・プログラムを念頭に置いて、何とか毎月三千円を集める方法はないのか。そう考えていたとき、ある先生からアルミ缶回収で得たお金を毎月寄付していた家族がいたと伺いました。

調べてみると、アルミ缶で毎月三千円集めるためには、約二千個のアルミ缶が必要でした。けれども、自分一人で二千個ものアルミ缶を集めるというのはとても難しいことだと思われました。でも何とかしたいと考えているうちに、「学校の生徒全員で集める」という案が思い浮かびました。私が通う矢板中学校の生徒数は五百人以上、一人が毎月四個のアルミ缶を持ってくれば寄付が可能になります。私は生徒会役員を務めているので、この話を早速生徒会の会議で提案しました。

賛同はすぐに得られましたが、具体的な内容が決まっておらず、お金を扱うことも重なって、なかなか活動の実施には至りませんでした。何度も話し合いを重ねていくうちに、他の生徒会役員の仲間も意識が高まり、積極的に協力してくれたり、アイデアを出してくれたりするようになりました。そして、いよいよ準備が整い、学校からの許可も出て、今年度から国際支援を目指した生徒全員でのアルミ缶回収活動がスタートしました。提案してから一年二ヶ月がたっていました

マンスリーサポート・プログラムへの協力では「継続的な支援」が大切です。なぜなら、寄付が支援を受ける子どもたちの「ライフライン」となっているからです。食料や治療は継続して行わなければ、また命の危機に晒されてしまいます。子どもたちの「ライフライン」である私たちの寄付が続くことで一体どのくらいの子どもを救えるのでしょうか。一人でも多くの輝くべき子どもたちの命を救うために、後輩たちにも活動を長く受け継いでいって欲しいと思います。私たちが、活動開始までに費やした時間と労力と知恵は活動を継続するためのものだったと思っています。アルミのリサイクル会社の手続きの都合でお金が振り込まれたのは八月末でした。三ヶ月分で私の想像を超える一万二千円以上になったそうです。たとえ一人の力は小さくても、皆が協力し合えば大きな力になりました。

一人では難しいことでしたが、生徒会の協力を得て継続的な支援をすることができそうです。校長先生や担当の先生も中学校のホームページを通して活動を広めてくださっています。活動に協力してくれる方々には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。活動を通して国際協力というものが、実は自分の身近なところにあるのだと、また、誰もが優しさと善意を持っており、機会さえ与えられれば皆が力を発揮し、輝けるのだと私は気付きました。そのような活動の輪をもっとひろげていけば、さらに大きな支援につながると思います。そのためには、行動に一歩踏み出す勇気が大切です。かつて私がそうであったように。世界を変えるのは、あなたのその一歩かもしれないのです。

性別に関係なく,一人ひとりが輝く国際社会の実現に向けて自分には何ができるか。 - ジェンダー平等を実現するためにわたしができること -

公益財団法人日本国際連合協会会長賞
神奈川県 平塚市土沢中学校 3年 和田 あやな

SDGs「持続可能な開発目標」丁度一年位前にこの言葉を知った。

知るきっかけとなったのは、ニューヨークの国連本部で開催されたファッションショーだった。国連に堅いイメージを持っていた私は、本部で行われた華やかなファッションショーには正直驚いた。と同時に堅いイメージだった国連の存在が何だかとてもやわらかく感じられた。

そのショーでは、「女性の輝く社会」の実現を目標に掲げ、「今後の女性活躍と性別による不平等をなくしていく社会をみんなですすめていこう」と代表の方が熱い想いを語っていた。この啓発イベントによって、2030年までの国際目標である、SDGs「持続可能な開発目標」、世界をかえるための十七の大きな目標を知った。この十七の目標の一つに「ジェンダー平等を実現しよう」が掲げられている。ジェンダー平等の意図を理解しようと検索したところ、「誰もが性別に関わらず平等に機会を与えられる社会を実現します。すべての女性や少女が、本来持っている能力を十分に発揮して生きることができる社会をつくります。」とあった。

近年の日本では、女性も男性同様に社会に進出し、輝かしい活躍をしているように思える。身近なところでは、学校の校長先生や教頭先生、病院の先生も女性が増えている。両親が私の年齢の頃は、圧倒的に男性ばかりだったらしい。しかし、体力を主とする場においては、男女の体力の差などから、平等に活躍するのは難しく、まだまだ多くの課題がありそうだ。また、地域や世代によっては、「男性は仕事、女性は家庭」との昭和意識が根強く残っているのも事実である。人類誕生より男性は外で狩りをし、女性は家の中で家事や育児をしてきた。人間の本能というべきか、この点を踏まえてみても、ジェンダー平等の実現はとても難しい目標であるように思える。

では他国ではどうだろうか。現在、アイスランドやノルウェーなどの先進国のヨーロッパの多くの国が、経済的、社会的に発展し、その根本は、男女平等社会の確立にあるとされている。その一方で、多くの途上国では、根強く残っている古来からの習慣や、社会で作られたルールなどによって、少女や女性を教育や社会参加などから遠ざけ、未来の可能性や夢が閉ざされている。実際、まだ約3200万人の女児は小学校に通えていない。教育においては、日本は男女平等でとても恵まれていると改めて思った。

「性別に関係なく、一人ひとりが輝く国際社会の実現に向けて自分には何ができるか。」自問してみた。真っ先に頭に浮かんだのは、「学ぶ」ということだ。教育を受けることで話すこと、読むこと、書くこと、見ること、知ることを学び、考える力、国際社会で発信することができる力を身につける。次に、なぜジェンダー平等の実現を目指しているのか実現したらどのような未来になるのかをきちんと理解する。そして、この理念を伝え広める。性別に関係なく、一人の人間として自分自身の個性を磨く努力をする。まずは、これから始めてみようと思う。

2030年。私は二十六才。どのような未来が待っているのだろう。いや、待っていてはだめだ。私たち若い世代が率先してより良い社会を作っていかなくては。そして胸を張って、次世代にそのバトンを渡そう。

カウントダウンはもう始まっている。

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