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第60回 国際理解・国際協力のための全国中学生作文コンテスト

- 第60回(2020年度) 入賞者発表 -

外務大臣賞

北陸学院中学校 平本 慶樹 さん

国連創設100周年の2045年、こんな世界にしたい - 私たちが快適に過ごせば過ごすほど、地球環境が回復していく世界 -

文部科学大臣賞

目黒区立第十中学校 原田 祐里 さん

SDGsが目指す「誰も取り残さない」社会を作るために、自分には何ができるか - 礼の精神で「誰も取り残さない」社会を -

公益社団法人日本ユネスコ協会連盟会長賞

秋田大学教育文化学部附属中学校 髙橋 麗 さん

国連創設100周年の2045年、こんな世界にしたい - 一人一人が尊重し合い認め合うことの大切さ -

公益財団法人日本国際連合協会会長賞

別府市立鶴見台中学校 高山 陽菜 さん

SDGsが目指す「誰も取り残さない」社会を作るために、自分には何ができるか

公益財団法人安達峰一郎記念財団理事長賞

那覇市立安岡中学校 與那嶺 源太 さん

世界平和の実現に向けて、私ができること

NHK会長賞

ふじみ野市立大井東中学校 久慈 紗緒里 さん

SDGsが目指す「誰も取り残さない」社会を作るために、自分には何ができるか - 知ることの大切さ -

国際連合広報センター賞

川口市立元郷中学校 豊田 泰隆 さん

SDGsが目指す「誰も取り残さない」社会を作るために、自分には何ができるか - ゼロを1にすること -

金賞

新潟大学附属新潟中学校 高橋 くらら さん

世界平和の実現に向けて、私ができること - 海の向こうの彼女たちを想う -

山形大学附属中学校 長澤 パティ瑛美 さん

世界平和の実現に向けて、私ができること

京都市立下鴨中学校 田中 愛梨 さん

国連創設100周年の2045年、こんな世界にしたい - スイカの思い出 -

銀賞

京都市立旭丘中学校 畠山 菜々海 さん

SDGsが目指す「誰も取り残さない」社会を作るために、自分には何ができるか - 世界をかえるひとりになりたい -

佐賀清和中学校 中溝 桃花 さん

世界平和の実現に向けて、私ができること - 平和のために -

加古川市立永丘中学校 東田 真琴 さん

世界平和の実現に向けて、私ができること - 緑の大地へ「中村医師」に想う -

佳作

只見町立只見中学校 山田 夢空 さん

SDGsが目指す「誰も取り残さない」社会を作るために、自分には何ができるか

宮田村立宮田中学校 加藤 そよか さん

SDGsが目指す「誰も取り残さない」社会を作るために、自分には何ができるか

滋賀大学教育学部附属中学校 福元 浩太朗 さん

SDGsが目指す「誰も取り残さない」社会を作るために、自分には何ができるか

由利本荘市立本荘東中学校 鈴木 葵衣 さん

国連創設100周年の2045年、こんな世界にしたい

北九州市立穴生中学校 古巻 凜 さん

世界平和の実現に向けて、私ができること - 違いを個性として尊重し合う -

- 特賞入賞作品紹介 -

連創設100周年の2045年、こんな世界にしたい - 私たちが快適に過ごせば過ごすほど、地球環境が回復していく世界 -

外務大臣賞
石川県 北陸学院中学校 2年 平本 慶樹

2045年、私は私たちが快適に過ごせば過ごすほど、地球環境が回復していく世界になっていて欲しい。そう思ったのは、新型コロナウイルスによって学校が休校になったからだ。私は休校期間に SDGs の取り組みをした。元々、小学校の時に児童会長になり、そこで小学校内で SDGs のポスターをつくり、みんなに知ってもらうよう努力をし、エコキャップ運動や、小学校で使う液体石鹸を環境にも肌にも優しいものに変えてもらうよう先生たちに働きかけをした。肌が弱い友達にお礼を言われ、県内で児童会賞をもらうこともできた。でも、中学校になって環境が変わり、なかなか SDGs の活動ができなくなっていた。しかし、小学校4年生になるときに、神奈川県から石川県に引っ越してきて以来、三味線や琴を部活で習ってきたので、伝統文化に関係するような SDGs の活動をしたいと思っていた。

私は金継ぎ・呼継ぎを拡げる活動をした。私の家の周りは九谷焼の産地で、多くの焼き物が作られている。そして、多く作られている分、多くの失敗作が捨てられているのを目にする。使っていて割れた焼き物や失敗作として捨てられた焼き物を魅力あるものへと変える技こそが金継ぎ・呼継ぎだ。金継ぎ・呼継ぎで修復された食器は直せば直すほど価値が高まる。直すこと自体も楽しいし、直すことで壊れる前よりも良い食器になっていく。そんな考え方を昔の日本人が持っていたということが私は日本人として誇らしくなった。そして、もっと多くの人に知ってもらいたいと思った。実際に窯元の人に話を聞き、割れた食器を譲ってもらう等の協力をしてもらったが、その時にさらに驚いたのは、器を作る人はたくさんいるのに、直す人はわずかしかいないということだった。それだったら、もっと多くの人に知ってもらいたいと思い、zoom を使って遠くに住む従兄弟や友達にも知ってもらうために、金継ぎを簡単に行えるキットを紹介するだけではなく、まずは一緒に楽しんでみんなに興味を持ってもらえるためカードゲームを作り、そのアプリ化もした。みんな金継ぎの存在を初めて知り、興味を持ってくれた。こうした活動によって、もっと多くの人が自分で物を直すことを楽しんでもらい、壊れる前より魅力的な物を生み出して行って欲しいと思う。こうしたことが 2045年には当たり前になっていて欲しい。

私たち人間が壊してきた地球も、私たちが壊すのをやめるだけじゃなく、壊し始めた時よりも、もっと良い地球にしていきたいと思うし、それを目指すことが当たり前になっていて欲しい。私が家で使っている米糠の洗顔剤は、使うと肌が健康的になるだけはなく、米糠に含まれている微生物が河川や海洋を綺麗にしていってくれる。小学校の時に訪問したカンボジアの農村では豊になるために木を伐採せず、木を育て得た実や油を使い環境と肌に優しい石鹸などを作っていた。私たちの祖先が残してくれたこうした考え方を、多くの人が当たり前のように大事にすれば実現は不可能じゃないと思う。

2030年の世界を目指した SDGs が地球を壊すのをやめることを目指した目標だとしたら、SDGs の次の目標は、壊し始めた時よりも良い地球にすることを目指していく目標になるべきだと思う。国連では SDGs を作るときに多くの人が関わって作ったという。次の目標を作るときには是非参加をしたい。そして、日本人が受け継いできた素晴らしい考え方を世界中の人に伝えていきたいと思う。

SDGsが目指す「誰も取り残さない」社会を作るために、自分には何ができるか - 礼の精神で「誰も取り残さない」社会を -

文部科学大臣賞
東京都 目黒区立第十中学校 3年 原田 祐里

「勝ち組・負け組」という言葉をよく耳にします。皆が勝ち組に憧れ、勝ち組にのみ目を向け、負け組は取り残されても気にかけない、という空気さえ感じます。私の中で、何か変、何かおかしい、という思いがずっとあります。

私は五歳の時から剣道を習い始め、現在は二段です。道場の先生は警察官を定年退職した方で礼儀にとても厳しいですが、とても温かい心を持った方です。私が剣道を通して学んだ一番大きなものは剣の技術もさることながら、それ以上に礼の精神です。相手を敬い、相手が勝者であれば尊敬と賞賛を、敗者であれば敬意と気遣いをという精神です。勝者に対しても敗者に対しても共通する気持ちは敬意です。

私が剣道を通して学んできたこの礼の精神からは、勝ち組にばかりスポットがあてられ、皆が勝ち組を賞賛し、負け組が取り残されるのは自己責任で仕方がない、という考えにはとても違和感を覚えます。

私たちの日本にはもともと礼の精神があり、たとえ相手が敗者であっても、敬意と気遣いを持って接するのが、社会の中で美徳とされていたはずです。互いに相手を思いやり、勝者でない人に対しても、礼節と思いやりを持って接する、という礼の精神が、共通の価値観として、日本社会の中で人々に共有されてきたことが、日本社会が他国と比べて、暴力的な争いが少なく治安も良いことの大きな要因だったと思います。

つまり、この礼の精神は、単なる美しさとか形式的な作法ではなく、人々が社会の中で安心して平和に生活するための知恵のようなものだと思います。努力と才能で社会の中で勝者になった人に対しては尊敬と賞賛が与えられるのは当然ですが、同時に勝者でない人たちに対する気遣いとフォローは、人々が安心して平和に暮らせる安定した社会の維持という観点から、社会全体の責任として必要なものだと思います。

二○一五年の国連サミットにおいて、貧困・保健・教育・雇用・インフラその他社会のほとんどの分野において持続可能な開発目標 (SDGs) が掲げられ、「誰も取り残さない」社会の実現を目指すことになりました。

これらの広範な分野における SDGs の達成と「誰も取り残さない」社会の実現は、各国政府による取組だけでは到底困難です。社会を構成している私たち一人一人の心がけと行動が必要となります。「誰も取り残さない」社会は、社会の構成員である私たち一人一人が、自分が勝ち組になればそれでいい、自分だけよければいい、という気持ちでは絶対に実現できません。礼の精神が日本社会を構成する一人一人の共通認識になっていたことが、日本が安全で平和に暮らせる安定した社会たり得た大きな要因だったように、「誰も取り残さない」社会は、勝者になれなかった人や高齢者・障がい者・被災者などの弱者や様々な施策の恩恵に現在あずかっていない人たちに対する気遣いと、そういった人たちを社会の隅に追いやっては絶対にいけないという明確な意識を、社会の構成員である私たち一人一人が共通認識として持つことで実現できるものだと思います。

社会の中でそういった共通認識が醸成されるよう、私は日々の生活の中で、礼の精神で人々に接し、一人でも多くの人たちに相手を敬い気遣うという気持ちを持ってもらえるよう心がけ、勝ち組でない人や弱者でも、居場所があり、活躍ができ、人間らしく生きることができる「誰も取り残さない」社会を作っていきたいと思っています。又、私には将来海外で生活をしたいという漠然とした夢があります。将来海外で生活をすることになった場合、現地の人たちに剣道を教え、一人でも多くの人たちに礼の精神を持ってもらい、「誰も取り残さない」社会を作るための一助になりたいと思っています。

国連創設100周年の2045年、こんな世界にしたい - 一人一人が尊重し合い認め合うことの大切さ -

公益社団法人日本ユネスコ協会連盟会長賞
秋田大学教育文化学部附属中学校 3年 髙橋 麗

十三歳の春、私は死にたいと思っていた。通学途中の駅のホームで何本も電車を見送ったこと。到着する電車に体が傾き足下の黄色い線を越えてしまいそうになったこと。あの頃の絶望感は今でもはっきりと覚えている。

父の仕事の都合で引っ越しをくり返してきた私は、現在八番目の赴任地である秋田県で友人に恵まれ楽しく暮らしている。しかし、これまでは孤独が多く拒絶や差別に涙することもあった。転校生ということだけで、優位性や優越感を得る為の恰好の的にされ、行動を起こしたいのに起こせなかったことは一度や二度だけではなかった。だから私は口を閉じ目を閉じ最後は心を閉ざし絶望したのだ。

「広い世界を見てごらん」

青天の霹靂だった。私が自分の殻に閉じこもってしまったことを心配した母に突然言われた日、私は初めて目が覚めた気持ちになった。そしてその日から「世界」について猛烈に学び始めた。貧困、差別、詐取、労働、特に子どもの命を脅かす問題に自分を重ね合わせた。次第にこの目で世界を見たいという気持ちが高まり、その三か月後に私は少年少女国連大使という光栄な機会を頂き人生初の海外であるジュネーヴへ一人飛び立って行った。

ユニセフ(国連児童基金)の報告書によると、世界の十三~十五歳の三人に一人が日常的にいじめに苦しみ、約一億五千万人が学校において子ども同士の暴力を経験しているという。そして先進三十九か国の十一~十五歳においては十人に三人が他生徒へのいじめを認めているとの結果も出ている。孤独に悩み苦しんだ私には、今もおびえ苦しむ子どもたちの無音の悲鳴が耳に響くようで離れなかった。

ジュネーヴに到着した私は、国連欧州本部にて一週間の日程で地元の大勢の学生とグループを組み共に講義を受け、SDGs や世界の問題について様々なことを話し合った。その中にソフィアがいた。美しい褐色の肌を持つ彼女は、周りに馴染めない私を気遣い意見を聞いてくれた。彼女は「最高のアイディアじゃない!」と弾けるように笑い、いともたやすく私を認めてくれたのだ。恐る恐る私が日本から来た外国人であることをどう思うかと尋ねると、「それが何だと言うの?」とソフィアは大きな瞳を見開いた。私はそこに映る自分の顔に驚いた。笑顔だったのだ。これまでの私の孤独とは一体何だったのか、私はなぜ死にたかったのか、自問自答を繰り返した。それから私はグループに溶け込み何度も笑い合い、意見をぶつけ合い、言葉を交わすことこそが発見であり相互理解の第一歩であることを体感した。最終日に私達は欧州本部の会議場の舞台に立ちグループで議論し皆で導いた結論を英語でスピーチした。大きな拍手。大成功だった。私達は抱き合ってお互いを称えこの出会いと友情に感謝し体が震えていた。

「一人一人が互いに認め尊重し合う世界」国連創設百周年となる二○四五年に向けて私は強くこのことを提案したい。死にたいと思っていた私が一つの出会いによって救われ生きたいと思えたように、いつからでもどんな人でも笑顔になることが出来ると信じている。一人一人が尊重し合い認め合うことが出来たなら、世界に暮らす約八十億人が互いに理解し笑い合うことも可能であると私は信じる。

二十五年後、四十歳である私は、世界を知る為に走り回っているだろう。母となり子を育て差別や孤独のない日常を笑顔で暮らしているだろう。大人になることが楽しみな社会、皆が孤独に苦しむことのない世界を子や孫や未来に提供したい。ソフィアが十三歳の私に手を差し伸べてくれたように、明日は未だ見ぬあなたと出会い手を取り合いたい。

私の目の前には折鶴がある。ソフィアが再会の祈りを込めて折ってくれた鶴。指切りをした時の彼女の指に巻かれた真新しい絆創膏を思い出す度に私は何度も孤独ではないと実感し、今日も笑顔を世界に向けるのだ。私は私の汗や涙や可能性に大いに期待している。

SDGsが目指す「誰も取り残さない」社会を作るために、自分には何ができるか

公益財団法人日本国際連合協会会長賞
別府市立鶴見台中学校 2年 高山 陽菜

「えー気持ち悪い。」

私が小学生の時、休み時間にそんな声が聞こえてきた。近くに行ってみると、同性愛についての話だった。

「そんなの人それぞれなんじゃないの。」

気づいたら声に出していた。みんなの視線が一斉に集まる。言わなければ良かったな、なんて後悔してももう遅い。

「だって普通じゃないし。」

その時誰かが言った言葉がいつまでも耳に残った。

「陽菜って普通じゃないよね。」

私はそう言われたことがある。普通という考え方が知りたくて、何人かの友達に聞いてみた。当たり前のことや常識という考えが多かった。普通って何だろうと考えるうちに、私は普通なんてないのではないかと思うようになった。

世界に色んな人がいることをみんなに知ってもらいたくて、調べてみると「LGBT」というものがあることが分かった。L はレズビアン、G はゲイ、B はバイセクシュアル、T はトランスジェンダーの略だ。それだけではない。Xジェンダーや、クエスチョニングなど様々だった。簡単に男と女には分けられないのだ。それを知っている同級生は少ないだろう

小学生の時は、同性愛について気持ち悪いという考え方の人が多かった。中学生になって、考えはそのままなのだろうか。私は何人かの友達に同性愛についてどう思うか聞いてみた。肯定的な意見も出た。対して否定的な意見も出た。それから、肯定も否定もできないという意見もあった。いい気持ちで肯定することは出来ないが、性差別を無くしていこうという社会になってきているため、それを否定してはいけないのではないかと思ってしまうという意見だった。私は自分の思いを押し込めて、スッキリしないまま肯定しなくてはいけないと思っている人がいることに驚いた。

「りんごの色」という人権啓発マンガがある。その中に、りんごの色は何色なのかというシーンがあった。りんごをじっと見つめると、その中に色んな色が見える。ただの赤ではないし、どのりんごも同じ色ではないというのを見て、人も同じだと思った。私は、自分や相手の色を知っていくこと、それがみんな違う色であることを理解しなくてはいけないと思う。私も、自分の色についてずっと考えている。ぱっと結論は出てこないし、すごく難しい。私は、自分の性別に疑問を持っている人は思っているよりも多いと思う。みんなどこか、他人事のように考えているし、自分の周りにはそんな人はいないと思っている。みんながたくさんの性について知らないのは、疑問を持っている人が、それを言い出せる雰囲気ではないからかもしれない。友達から気持ち悪いと言われたり、私が言われたように、普通じゃないと言われたりしてしまうのではないかと思っているから、言い出せない。みんなが違うことを理解して、決まった考え方にとらわれずに物事を考えていくことができれば、それは変わるかもしれない。

私はこの考えを通して、思ったことが二つある。一つ目は、言葉は人のことを簡単に傷付けてしまうし、言ってしまったらもう取り戻せないので、しっかり相手のことを考えてから発言しなくてはいけないということ。二つ目は、みんな違う色を持っていて、それを認め合っていくことができる世の中になるようにしたいと思ったこと。まず私にできることとして、LGBT について同級生と話をして、少しでも多くの人に知ってもらいたいと思った。そうすれば、性別に関係なくみんなが笑顔で生きていける世界になるだろう。

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