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第63回 国際理解・国際協力のための全国中学生作文コンテスト

- 第63回(2023年度) 入賞者発表 -

外務大臣賞

福岡大学附属大濠中学校 西嶋 彩香 さん

「核兵器のない世界」に向けて国際社会ができることは何か。

文部科学大臣賞

広尾学園 恩田 美 さん

「核兵器のない世界」に向けて国際社会ができることは何か。

公益社団法人日本ユネスコ協会連盟会長賞

長久手市立北中学校 近藤 快 さん

本年はSDGsの中間年。2030年までに17の国際目標から成るSDGsを全て達成するために、日本ができることは何か。

公益財団法人日本国際連合協会会長賞

周南市立周陽中学校 神田 愛莉 さん

今年、加盟国最多の12回目の安保理非常任理事国となった日本は、どのような取組をおこなうことで、世界の平和と安全に貢献すべきか。

公益財団法人安達峰一郎記念財団理事長賞

京都教育大学附属京都小中学校 辻村 桃子 さん

今年、加盟国最多の12回目の安保理非常任理事国となった日本は、どのような取組をおこなうことで、世界の平和と安全に貢献すべきか。

NHK会長賞

白百合学園中学校 鈴木 星羅 さん

「核兵器のない世界」に向けて国際社会ができることは何か。

国際連合広報センター賞

ぐんま国際アカデミー 柳澤 怜央 さん

本年はSDGsの中間年。2030年までに17の国際目標から成るSDGsを全て達成するために、日本ができることは何か。

金賞

盈進中学校 野宮 梨那 さん

「核兵器のない世界」に向けて国際社会ができることは何か。

千葉市立打瀬中学校 乙地 優義 さん

「核兵器のない世界」に向けて国際社会ができることは何か。

宮城県立仙台二華中学校 半澤 咲希 さん

本年はSDGsの中間年。2030年までに17の国際目標から成るSDGsを全て達成するために、日本ができることは何か

銀賞

大津市立仰木中学校 打味 拓真 さん

本年はSDGsの中間年。2030年までに17の国際目標から成るSDGsを全て達成するために、日本ができることは何か。

仙台白百合学園中学校 佐藤 詩 さん

今年、加盟国最多の12回目の安保理非常任理事国となった日本は、どのような取組をおこなうことで、世界の平和と安全に貢献すべきか。

秋田大学教育文化学部附属中学校 三浦 有純 さん

本年はSDGsの中間年。2030年までに17の国際目標から成るSDGsを全て達成するために、日本ができることは何か。

佳作

郡山市立郡山第五中学校 三部 史樹 さん

本年はSDGsの中間年。2030年までに17の国際目標から成るSDGsを全て達成するために、日本ができることは何か。

札幌市立札幌開成中等教育学校 横山 鈴 さん

「核兵器のない世界」に向けて国際社会ができることは何か。

京都教育大学附属京都小中学校 末次 珠莉 さん

「核兵器のない世界」に向けて国際社会ができることは何か。

西宮市立甲武中学校 甲斐 美羽 さん

本年はSDGsの中間年。2030年までに17の国際目標から成るSDGsを全て達成するために、日本ができることは何か。

沖縄県立開邦中学校 島袋 莉安 さん

本年はSDGsの中間年。2030年までに17の国際目標から成るSDGsを全て達成するために、日本ができることは何か。

- 特賞入賞作品紹介 -

「核兵器のない世界」に向けて国際社会ができることは何か

外務大臣賞
福岡県 福岡大学附属大濠中学校 1年 西嶋 彩香

「広島を訪れないまま大人にならないように。」

そんな母の言葉から、戦後七十八年になる今年、私は平和祈念式典の日を控える前日に広島を訪れた。その時、私が目にしたのは、予想を超える数多くの外国人。私と同級生くらいの子どもから大人まで、家族連れも多く前も後ろも外国人だった。また、日本の多くのメディア関係者が報道の準備のために高所に放送機を並べたり慰霊碑の近くの壇上でマイクのテストを行うなど、慌ただしい時間が過ぎていた。

一方で、平和記念資料館に並ぶ人々は、とても静まり返っていた。中に入ると原爆当時の様子をプロジェクションマッピングで表したもの、ガラス片が突き刺さったままの壁、人影の石、被爆された方の所持品などが展示されていた。七十八年前に実際に着用されていた服は、そのほとんどが焼けて血がこびりついていた。持ち主の写真とエピソードと一緒に展示されていたため、戦争がより一層身近に感じた。途中で怖くなり目をそらしたまま通りすぎてしまった場所もある。

すべての場所が終わり、出口からロビーに出た時、誰ひとり言葉を発していなかった。楽しげに会話している人などもちろんいなかった。ただ、うなだれるようにして黙って座っていた。まるで目の中から光が消えてしまったように見えた。そのロビーでの光景を見た時に、私はこれこそが「核兵器のない世界」に向けて国際社会ができることではないかと考えた。

なぜなら、私を含めてその空間にいる人々は同じ空気をまとっていたからだ。一人でも多くの人にこの戦争の恐ろしさそしてこの核兵器が人々に与えた苦しみ、核兵器がいかにおろかな物であるかということを、世界に向けて発信している広島により多くの人に訪れてもらいたい。肌で感じてほしいのだ。言葉や文化は違ってもたとえ国が違っても、一番人の心に響くと信じたい。

国際社会をつくる私たちひとりひとりにできることもあると思う。私は、帰宅後、平和記念公園や平和記念資料館を訪れた外国の方々へのインタビュー映像を調べた。皆、口々に

「平和について学ぶために広島を訪れた。」「授業では、くわしく学んでいなかった。」と、自ら学ぼうと訪れた人ばかりだった。

私は、外国の人も戦争について学ぼうとしているのだから自分自身もこのおそろしい出来事について詳しく知り、核兵器は絶対になくさなければならないという気持ちを他国の人にも伝えられるような自分になりたいと思った。

今、世界ではロシアとウクライナが戦争をし、多くの人が亡くなり、負傷している。彼らの家族も以前と同じような生活が送れなくなっている。私の住む福岡県内へと避難しているウクライナ人もいる。日本は、平和でも外国では今日も戦争が行われている。最初の攻撃の一歩を踏み出さないためにも、核保有国の首脳に広島の平和記念資料館を訪れてもらいたい。

私は、これから戦争という出来事についてもっと詳しく知ることができるように、まずは、日々の勉強や自主的に学ぼうとする力をみがいていきたいと思う。

「核兵器のない世界」に向けて国際社会ができることは何か。- 日本と南アフリカから学ぶ。 -

文部科学大臣賞
東京都 広尾学園中学校 1年 恩田 美

八月のある日、広島平和記念資料館の入場を待つ行列に並んでいた私を驚かせたのは、外国人の数の多さだった。聞こえてくるのは英語、中国語、フランス語に、聞いたこともない言語まで。炎天下に世界中から広島を訪れる人がいることに心を動かされた。

これはもちろん、五月に広島で開かれたG7サミットがもたらした効果だろう。岸田文雄首相が核軍縮をサミットの重要テーマであると言明し、各国のリーダーが資料館を訪れたことが世界中に伝えられたことで、人類史上初めて原爆による被害を受け、そこから見事に復興した広島に世界中の注目が集まったことは間違いない。

私は、この広島サミットの成功例に、国際社会が核兵器のない世界の実現に向けてできることのヒントがあると考える。すなわち、世界唯一の被爆国として、一瞬で何万人もの命を奪った爆発の威力や長く続いた放射線による影響など原爆の悲惨さを世界に向けて訴え続けること、そして国際社会がそれを、フランスのマクロン大統領が資料館で記帳したように「感情と共感の念をもって」受け止めて、核軍縮と平和の実現に向けて行動することが重要だと私は考える。

一時間ほど並んでやっと入場できた資料館では、日本人も外国人も、手で顔を覆ったり涙ぐんだりしながら展示に見入っていた。私も同年代の被害者の魂の叫びの前ではしばらく動けないほどの感情に押しつぶされそうになった。資料館を訪れて被爆体験に触れる経験をした人にとって原爆の悲惨さはもはや他人事ではなく、より真剣に核兵器のない世界の実現のために何をしたら良いか考えるようになるはずだ。まずは国際社会が広島と長崎で起きたことを知ることが核兵器廃絶の第一歩となる。今年の夏、広島で私は多くの人がその第一歩を踏み出している姿を見て、希望を感じている。

広島サミットをきっかけに、私の第一歩として九月にある学校の文化祭で発表するテーマを核軍縮に決めた。どうしたら核開発を止められるか、保有国が核兵器を全面廃棄するにはどうすればいいのか調べていくうちに、南アフリカが世界で唯一、自国で開発した核兵器を自主的に放棄した国であることを知った。

私は小学校入学前の四年間を南アフリカのヨハネスブルグで過ごした。当時五歳だった私と同じぐらいの子どもが路上で物を売ったり物乞いをしている姿が忘れられず、私は将来、国際機関でアフリカから紛争や貧困をなくす活動をしたいと心に決めている。私を含めて先進国の多くの人々が、アフリカを支援が必要な国々、あるいは政治が腐敗した国々としてみているのではないかと思う。

しかし、南アフリカが核兵器廃絶の分野において世界のリーダーであることを知って、私は驚いた。国際社会はこのことにもっと注目して、南アフリカの核廃棄の事例をよく研究し、学ぶべきではないか。そして、南アフリカがもっと発言力を持って国際社会をリードできるよう、国連などの国際機関がサポートするべきだ。マクロン大統領が書いた「感情と共感の念」のほかに、他者の良いところや先進的な事例から学ぶ謙虚さを持てると良いと思う。

昨年、核保有国であるロシアがウクライナに侵攻するなど、核兵器を取り巻く世界情勢は変化し続けている。今すぐに世界中から核兵器をなくすことが難しいことは、中学生の私にも分かっている。それでも国際社会の一員である私たち一人一人が、過去や他者から学ぶ姿勢を持ち、自分たちの経験や平和への思いを発信し続けることで、核兵器のない世界に一歩ずつ近づけると信じている。

本年はSDGsの中間年。2030年までに17の国際目標から成るSDGsを全て達成するために、日本ができることは何か。

公益社団法人日本ユネスコ協会連盟会長賞
愛知県 長久手市立北中学校 2年生 近藤 快

毎年、駅や校内で痴漢撃退の啓発ポスターが張り出されます。アメリカ人の先生が、ポスターを見て、いつも被害者=女性なのはおかしいよね、と仰いました。先生は、毎年送られてくるポスターを見て、被害者が決まって女性ということに違和感を感じるようでした。

SDGsの目標のひとつに、「ジェンダー平等を実現しよう」があります。私の育った環境からは想像もつきませんが、世界には女性というだけで差別の対象となり、満足な教育を受けられない人たちがたくさんいます。

誰しも、自分の生まれ育った環境に強く影響され、考えや生活習慣が培われていき、やがてそれが、自分たちの社会の常識に繋がっていきます。

前述した、女性の人権を認めない不平等な社会も、先生の指摘があるまで、ジェンダーギャップに違和感を持てなかった私も、根底では似ていて、固定概念や思い込みに囚われて、凝り固まった視点でしか物事を見ていなかったことに気が付きました。ジェンダーの不平等を身近に感じる事ができた出来事でした。

私の幼馴染の友人家庭では、実の親が育てられない子供を、家族の一員として迎え入れています。私は友人宅に行くと、いつも里子たちと遊ばせてもらっています。小さい子を弟や妹のようにお世話している友人が羨ましくて、私は母に里子の受け入れをしたいとお願いしました。そして、両親の協力もあり、三年前からネグレクト等の理由で、児童相談所に保護される小さい子の一時保護の受け入れを始めました。赤ちゃんが可愛いからと始めた里子の受入れですが、里子に来る理由は様々だと知りました。そして、充分な食べ物と愛情を与えられない子供たちがたくさんいる事を目の当たりにしました。私は毎月、ホームレスの方々にお弁当を配るボランティアもしていますが、赤ちゃんからご年配の方まで、飢えといつも隣り合わせで生活し、安心できる場所を必要としている人たちがたくさんいる事を日々実感しています。里子に来る小さい子たちも、ホームレスの方たちも、自分たちとは異なる特別な人たちではありません。子供たちは可愛いし、ホームレスの方たちも怖い人たちではなく、普通のおじさんたちです。

困っている方はまだたくさんいます。私は愛知県と神奈川県に本部のある、日本介助犬協会でも、四年前からボランティアをしています。介助犬とは、手足の不自由な方の日常生活をサポートし、その方のパートナーとなる犬の事です。世間では、バリアフリーという言葉が広く知られ、駅のエレベーターの設置等、社会全体の理解も深まり、どんどんバリアフリー対応の流れになっていると実感しています。しかし、車いすユーザーの方のお話を直接伺うと、写真で確認して入れそうなお店でも、少しの段差があって入店できなかったり、困る事も多く、「バリアフリーなんてまだまだ。」というのが、正直な気持ちだそうです。

中学生の私たちがすぐに始められる事。それは、知る事だと思います。私たちの周りには困っている人達がたくさんいて、みんなも困っている人達を助けたいと、強く想っています。世界中が、誰も置いてきぼりにしない社会、みんなが笑顔になれる社会を強く望んでいます。国や企業、団体に任せておけば大丈夫という考えを捨て、ひとりひとりが関心を持ち身近に感じる事ができれば、より良い社会の為の選択ができると思います。そして、ひとりひとりの意識が変われば、世界はすごいスピードで変わっていくでしょう。そうすれば、必ず、2030年までに17の目標を達成出来ると、私は信じています。

今年、加盟国最多の12回目の安保理非常任理事国となった日本は、どのような取組をおこなうことで、世界の平和と安全に貢献すべきか。

公益財団法人日本国際連合協会会長賞
山口県 周南市立周陽中学校 3年 神田 愛莉

山口県周南市南西部に位置する大津島。全国で唯一、人間魚雷「回天」の発射訓練基地跡が残っていることで有名な島だ。太平洋戦争末期、ここから多くの若者が回天に乗り込み、戦艦目がけて出陣していった。そして、帰らぬ人となった。

三年生になってから、平和について考える機会が多くなった。社会科で太平洋戦争について学習した。美術科や国語科でも平和に関する学習を行ってきた。その中でも、特に私が平和について強く意識するきっかけとなったのは、国語科でスピーチ学習を行ったときのことだった。私は、スピーチのテーマに「紛争」を選んだ。以前、子ども兵士についての記事を読んだことがあり、この事実を伝えるべきだと思ったからだ。紛争について調べていくと、二千二十二年時点で世界で起こっている紛争の数は五十六にのぼることが分かった。世界での紛争状況を知り、他人ごとだと捉えてはいけないと感じた私は、大津島を訪れ、平和についてもう一度考えてみようと思った。

回天記念館には、国のために命を捧げた方々の遺影や家族に向けての手紙、遺書などが残されていた。回天に乗り込み、自分の命と引き換えに戦艦を攻撃したのは、二十歳前後の若者たちだった。それは、国のため、家族のためと信じたからなのだろう。正義のためと信じたのかもしれない。写真に写る彼らの瞳はまっすぐだった。遺書の力強い筆跡には、命を捧げる覚悟、家族への思いが表れていた。回天に乗り込むという決断をした若者たちの、恐怖と闘い、自分を奮い立たせようとする気持ちがひしひしと伝わってきた。今、紛争に身を投じる若者も同じ思いなのかもしれない。しかし、私が最も心を打たれたのは、

「晴れの日は、何日後、何年後に来るかもしれない。しかし、必ず来る。」

という言葉だった。これは、十九歳で回天に乗り込み、戦死した本井文哉さんの言葉だ。本井さんは、戦死する二日前に、幼い弟へ二通の遺書を残している。一通は全文をカタカナで書き、弟へ別れを告げたもの。もう一通は漢字とひらがなで書き、弟を励ましたものだった。ここにある「晴れの日」とは何だろうと考えたとき、それは、「平和が訪れる日」なのではないかと思った。平和な日々が必ず訪れると信じた本井さん。切実な思いで、この言葉を残したのだろう。

日本だけではなく、世界中で起こった過去の戦争で払われた多大な犠牲。そして、世界中で今も続いている戦争や紛争。今、自分は平和な日本で生きているからこそ、平和について考えることが必要だ。私たちには、戦争や紛争で失われた命を取り戻すことはできない。しかし、止めるための努力はできる。死の恐怖と闘いながらあの言葉を残した本井さんのように、「晴れの日」が来ることを待ち望んでいるたくさんの人々がいる。

「リオの伝説のスピーチ」で、セヴァン=スズキさんが言っていたように、私たちは三千万種類の生物からなる大家族である。家族を見捨てることなどできないはずだ。私たちができることは限られているかもしれない。しかし、諦めることだけはしてはならない。

今年、日本は国連加盟国最多の十二回目の安保理非常任理事国となった。世界の平和と安全のために、国際連合の舞台で貢献する大きなチャンスである。多くの外交努力によって、非常任理事国が可決したことに対し、常任理事国が拒否権を発動することもあるだろう。しかし、だからといって諦めることだけはしてはならない。戦争や紛争のない世界を実現するために、できることを粘り強く続けてほしい。様々な事情や利害を抱える加盟国と対話していくことは簡単なことではないだろう。私も国民の一人として、応援する。募金をすること、フェアトレード商品を買うこと、十八歳になったら選挙に参加すること。できることから始めるつもりだ。

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