第65回 国際理解・国際協力のための全国中学生作文コンテスト
- 第65回(2025年度) 受賞者発表 -
「2025年度・第65回 国際理解・国際協力のための全国中学生作文コンテスト」では、全国から 2,393作品の応募があり、予選を通過した 49作品の中から受賞作品が決定しました。
- 特賞 -
外務大臣賞
鹿児島県 鹿児島市立坂元中学校 森田 奈結嬉 さん
国連創設後の80年間で世界はどのように変化したと考えるか。今後の国連の使命は何か。
- 平和と協力の未来へ -
文部科学大臣賞
沖縄県 石垣市立石垣中学校 白保 花稀 さん
あなたが考える平和とは何か。そのために何をすべきか。
公益社団法人日本ユネスコ協会連盟会長賞
沖縄県 沖縄県立開邦中学校 北野 駿虎 さん
あなたが考える平和とは何か。そのために何をすべきか。
- 平和への対話、その一歩を踏み出すために -
公益財団法人日本国際連合協会会長賞
京都府 立命館中学校 小島 夕空 さん
あなたが考える平和とは何か。そのために何をすべきか。
- 優秀賞 -
公益財団法人安達峰一郎記念財団理事長賞
埼玉県 さいたま市立大宮国際中等教育学校 清水 紗英 さん
あなたが考える平和とは何か。そのために何をすべきか。
- 20% -
NHK会長賞
千葉県 市川中学校 青木 航太 さん
あなたが考える平和とは何か。そのために何をすべきか。
国際連合広報センター賞
兵庫県 神戸大学附属中等教育学校 角田 クロエ さん
複数の国で協力して、取り組むべきと考える優先課題は何か。
- 金賞 -
茨城県 洞峰学園つくば市立谷田部東中学校 北岡 龍ノ助 さん
複数の国で協力して、取り組むべきと考える優先課題は何か。
関西 大阪府立水都国際中学校 加賀美 さくら さん
あなたが考える平和とは何か。そのために何をすべきか。
- 言葉を疑い、言葉に託す -
兵庫県 関西学院中学部 黒澤 瑞希 さん
あなたが考える平和とは何か。そのために何をすべきか。
- 銀賞 -
東京都 東京純心女子中学校 谷 美命 さん
あなたが考える平和とは何か。そのために何をすべきか。
愛知県 名古屋市立森孝中学校 杉村 咲樹 さん
あなたが考える平和とは何か。そのために何をすべきか。
- みんなでつくる未来と平和 -
広島県 AICJ中学校 橋本 桃佳 さん
複数の国で協力して、取り組むべきと考える優先課題は何か。
- 佳作 -
秋田県 秋田大学教育文化学部附属中学校 菊池 美媛 さん
あなたが考える平和とは何か。そのために何をすべきか。
- 平和のバトン -
神奈川県 日本女子大学附属中学校 長塩 梨花 さん
あなたが考える平和とは何か。そのために何をすべきか。
- やり返さない勇気 -
岐阜県 海津市立平田中学校 渡邊 絢音 さん
複数の国で協力して、取り組むべきと考える優先課題は何か。
山口県 野田学園中学校 高橋 美乃璃 さん
複数の国で協力して、取り組むべきと考える優先課題は何か。
- 明日を見るということ -
愛媛県 宇和島市立城南中学校 善家 菜陽 さん
複数の国で協力して、取り組むべきと考える優先課題は何か。
- 子どもに豊かな世界を -
- 特賞受賞作品紹介 -
国連創設後の80年間で世界はどのように変化したと考えるか。今後の国連の使命は何か。 - 平和と協力の未来へ –
外務大臣賞
鹿児島県 鹿児島市立坂元中学校 1年 森田 奈結嬉
一九四五年、第二次世界大戦の悲惨な経験を経て、国際連合は創設されました。戦争による多くの犠牲を繰り返さないために、国と国が協力し合う仕組みとして生まれたのです。あれから八十年。世界は大きく変化しましたが、国連は常に平和や人権を守るために活動を続けてきました。私は家庭での話し合いや社会での体験を通して、国連の歩みとこれからの使命について考えるようになりました。
家庭での体験として、家族と一緒にニュースを見ていたとき、ウクライナやガザでの戦争の映像が流れました。建物が壊され、人々が避難している様子を見て胸が痛みました。そのとき父が「こういうときに国連が調停したり、支援を呼びかけたりするんだよ」と教えてくれました。私は「なぜ国連があっても戦争はなくならないのか」と疑問を持ちましたが、同時に「だからこそ国連の存在は必要なのだ」とも思いました。ニュースをきっかけに家族で意見を交わすことで、国連の役割を自分なりに考えるようになったのです。
また、社会での体験として、私は国際交流センターの交流カフェに参加しました。そこで外国の人と話す機会があり、文化や習慣の違いに驚くこともありましたが、会話の中で「平和に安心して暮らしたい」という気持ちは同じだと気づきました。そのとき、「国連が目指す世界の平和とは、国だけの問題ではなく、一人ひとりの願いでもある」と実感しました。国際交流を通じて、「平和は自分とも関わっていること」だと理解できたのは大きな学びでした。
こうした体験を通して考えると、国連の八十年の歩みは大きな意味を持っていると分かります。植民地支配が終わり、多くの国が独立を果たしたのも国連の支えがありました。また、冷戦の時代には米ソが対立しましたが、国連は対話の場を提供し、核兵器を減らす努力を続けてきました。もし国連がなかったら、戦争はもっと増えていたかもしれません。
しかし、国連には課題も残されています。安全保障理事会の常任理事国が持つ拒否権によって、行動が止められてしまうことがあります。そのため、シリアやウクライナのように紛争が長引く場合もあります。また、地球温暖化や感染症など、国境を越える問題は増え続けています。これからの国連には、より多くの国や人々の声を取り入れる仕組みが必要だと思います。
私は、今後の国連の使命には三つの柱があると考えます。一つ目は「平和を守る力を強めること。」戦争を未然に防ぎ、対話の場を広げることが重要です。二つ目は「地球規模の課題への対応。」特に気候変動や貧困問題は一国では解決できないので、国連が中心となって協力を進めるべきです。三つ目は「人と人をつなぐこと。」私が交流カフェで体験したように、国や文化を超えて共に学び、理解し合う機会を広げることが、平和につながると思います。
国連創設から八十年。戦争のない世界という理想はまだ実現していませんが、国連は確かに世界を少しずつ前進させてきました。私たち中学生にもできることがあります。平和について学び、ニュースを自分事として考え、外国の人々と交流することです。小さな一歩でも、それが未来につながると信じています。
私は、国連の使命とは「人類の希望をつなぐこと」だと思います。国と国、人と人を結びつけることで、困難を乗り越えられるはずです。これからも国連の活動を学び、平和を願う心を大切にしていきたいです。
あなたが考える平和とは何か。そのために何をすべきか。
文部科学大臣賞
沖縄県 石垣市立石垣学校 2年 白保 花稀
緑が生い茂り、原色の花が咲き誇る沖縄。三線の音と太鼓のリズムにのって人々が踊り歌う、豊かな島です。
しかしこの沖縄の地はかつて戦火に呑まれ焼け野原となりました。一九四四年の「十・十空襲」は、まるで鉄の雨が大地を叩きつけるかのように降り、美しかった景色は消え、多くの命と財産が失われました。
戦後八十年を経て沖縄は復興し、活気に満ちた島へと再び戻りました。その背景には、想像もできないほどの苦難を乗り越えた、島人の強さと「ゆいまーる」の考えがあるのだと思います。
世界には、貧困や紛争、環境破壊、難民問題など、多くの深刻な課題が存在します。これらの問題は国境を超え、すべての人々に影響を与えています。こうした困難に立ち向かうには、国や文化の違いを超えて、奪い合うのではなく協力し合うことが必要です。私は、沖縄の「ゆいまーる」の精神こそが、こうした国際的な課題解決の鍵になると考えています。
そう考えるようになったのは、戦争孤児だった祖父から聞いた話がきっかけです。祖父は、中学一年生の時、アルバイトで貯めたお金を基に家を建てようと決意したそうです。しかし、当時芽ぶき屋根の家を立てるには、何十人もの大人の力が必要で、少年一人では到底無理な計画でした。そんな少年の話を聞いた当時の校長先生は、「みんなの力で少年の夢を叶えよう!一人でやれば大変だけど、みんなでやれば一人一束じゃないか!」と、全校生徒に協力を呼びかけてくれたそうです。多くの生徒が芽を届けてくれ、家が完成した日のことを、祖父は誇らしげに「仲間の温かい思いやりの集結だよ」と、何度も語ってくれました。この出来事こそ、「ゆいまーる」の精神が形になった瞬間だったのです。
私自身、小学生の時、「ゆいまーる」に救われたことがあります。委員会でドッチビー大会を企画した時のことです。全学年で行うため、学年ごとに異なる発達段階を考慮したルール作りや、先生たちへプレゼンを行い、認めてもらうための資料作成などが必要でした。やるべきことは山積みで、私は一人で抱え込み、途方に暮れていました。そんな時、自分の仕事を終えた仲間が、「一緒にやるよ!」と手伝いに来てくれたのです。一人では出すことのできなかったアイディアが六人で考えることで徐々に形になっていき、全生徒大満足の大会をすることができました。『助け合うことの大切さ、あ!これが「ゆいまーる」だ。』そう実感することができました。
実はこの「ゆいまーる」の精神は、沖縄だけではなく、世界のさまざまな地域でも、似たような形で息づいています。
例えば、中東の国ヨルダンでは、シリアからの難民を村全体で受け入れ、地域ぐるみで生活支援や教育を行っているそうです。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、ヨルダン国内には約六十万人のシリア難民が避難しており、その多くが地元の人々の善意によって支えられているそうです。
こうした姿を見ると、「ゆいまーる」は決して沖縄だけではなく、世界共通の温かい心であることに気づかされます。
だからこそ私は、日々の小さな「ゆいまーる」が積み重なれば、それはやがて国を越え、文化の違いを越え、大きな平和の輪へとつながっていくと思います。争いや孤立の耐えない世界で、人々を救えるのは、「ゆいまーる」ではないでしょうか。
世界中の人々の心に「ゆいまーる」が根付き、互いに支え合って生きられる未来を、私は願います。
そして、「ゆいまーる」の心によって人々のきずなが巡り合い、助け合いの輪がどんどん広がっていき、その輪が、やがて世界に平和の光をもたらすと、私は信じています。
あなたが考える平和とは何か。そのために何をすべきか。 - 平和への対話、その一歩を踏み出すために -
公益社団法人日本ユネスコ協会連盟会長賞
沖縄県 沖縄県立開邦中学校 3年生 北野 駿虎
私は沖縄に生まれ、育った。沖縄戦を経験したこの島で、私は平和の大切さを繰り返し教えられて育った。しかし、そもそも平和とはなんだろうか。単に戦争がない社会を「平和」と呼んでいいのだろうか。私はそれでは不十分だと考える。
世界中の人が互いを理解し、尊重する社会こそが、真の平和だと思うからだ。私がこの考えを持つようになったきっかけは、曾祖母との対話にある。
私が小学六年生の夏、平和学習の一環で、戦争経験者の曾祖母に戦争の話を聞いた。曾祖母は多くを語らなかったが、その言葉の断片から伝わる戦争のむごさと恐ろしさは、私の脳裏にこびりついて離れなかった。
話の最後に、曾祖母は言った。
「だからね、戦争は絶対にしてはならない。あんたたちが平和をつくっていくんだよ。」
「じゃあ、平和をつくるには、どうしたらいいと思う?」と、私は尋ねた。
「そうねえ。」少し考えた後、曾祖母は言った。「いろんな国と私たち一人一人が仲良くすること、それが一番じゃないかねえ。」
私は、この言葉に強い衝撃を受けた。あれほどの恐怖を体験した曾祖母が、敵国への憎しみではなく、未来を生きてゆく私に「仲良くすること」の大切さを説いたのだ。その言葉には、過去の悲劇を乗り越え、国と国との関係を私たち一人一人の手で築いてほしいという、切実な願いが込められているように感じられた。それまで平和は国が守るものだと思っていた私は、自分自身の行動が平和に繋がるのだと、初めて気づいた。
しばらくして、私は中学生になった。行動範囲が広がり、バスや街中で時々出会う海外の人々と会うようになった。会話を通して、世界には多くの価値観があり、それを認め合うことでよい関係を築けると知った。
ただ同時に、相互理解の難しさも知った。中学2年生のある日、バスで隣り合わせた香港からの観光客と英語で会話が弾んだ。その中で私は、彼の中国本土に対する心情を尋ねてしまったのだ。彼は一瞬驚き、そして考え込み、少し悲しげに私にこう言った。
「ごめんね、それには答えられないかな。」
その瞬間、私は彼になんということを質問してしまったのかを理解した。香港が置かれている複雑な歴史や政治状況を、知識としては知っていた。しかしその渦中にいる一人の人間に、アイデンティティに関わるデリケートな問いを投げかけることが、どれほど相手の心を傷つける可能性があるのか、私の想像力は及んでいなかった。
この苦い経験は、本やニュースで得た知識だけでは、真の国際理解は達成できないという事実を私に突き付けた。それぞれの国には固有の歴史や文化があり、それを知ることはもちろん重要である。だが、それ以上に、実際に様々な人と交流し、眼の前にいる相手の背景に思いを馳せて、その心に寄り添おうとする姿勢こそが不可欠なのだ。そこに国際理解の難しさと、その本質があるのだろう。
だからこそ、発展途上国の人々が貧困により十分な教育が受けられない現状は極めて深刻な問題だと思う。知識を得る機会の欠如は、他者への無理解や偏見を生み、国際理解の大きな障壁となるからだ。私たち先進国の人々は、国連などの国際機関と協力して支援をするだけでなく、彼らと同じ目線で「ともに交流し、理解しようとする姿勢」を示すことが何よりも大切ではないだろうか。私の失敗も、ある意味では相手への無理解、すなわち「無知」から生まれたものだったからだ。
世界中の人々が国際協力や異文化理解に一歩踏み出せば、その小さな行動の積み重ねがやがて大きな平和へとつながるはずだ。私は自分の経験から学んだ国際理解や国際協力の重要性を、これからも探求し、発信していきたい。
あなたが考える平和とは何か。そのために何をすべきか。
公益財団法人日本国際連合協会会長賞
京都府 立命館中学校 2年 小島 夕空
この夏、私の住んでいる街、京都で、ユネスコの親善大使でもあった、茶道裏千家前家元の千玄室さんが百二歳で亡くなった。彼は学徒出陣で特攻隊に志願したが、出撃することなく終戦を迎え、戦後、平和な世界を願い続けてきた。千さんは亡くなるまで世界中で茶の湯を通じて平和についての活動を行ってきた。
茶道ではお茶を振る舞うときに大切にしていることがある。それは、相手への思いやりを示し、主客が一服のお茶を通して互いに心を通わせるための環境をつくることだ。お茶をたて、お客のところに運び、畳にそっと置き、こう言いながらお辞儀をする。「お先にどうぞ」。そして、お客側は一礼してこう言う。「お点前頂戴します」。その後、客は、お茶碗を二度回してからお茶を飲み、飲み口を親指で拭って清めてから、絵柄を亭主側に向け、畳の上に置く。そうして亭主に対する最大の謝意を示す。
戦争で多くの友人を亡くした千さんは茶道を象徴する「お先にどうぞ」、つまり「アフターユー」の精神を世界に広めることが自分に与えられた使命だと覚悟を決めて、茶人になったのであった。
私が考える平和な世界とは、このようなものだ。自分のことだけを考えるのではなく相手のことも考えられるような思いやりのある世界。
小学生の頃、学校で茶道の授業があった。友達のために、できるだけ美味しいお茶をたてようと、抹茶の量を丁寧に図った覚えがある。お茶碗を回収しに行った時、友達から「美味しかったよ」と言われ、とても嬉しかった。相手のためを想って行動したら、必ず自分に帰ってくる。だから、思いやりは永遠になくならないのだ。そう思った瞬間だった。茶道の全ての動作には相手への敬意と思いやりが溢れ出ている。身分の上下も勝者も敗者も関係ない。相手のことだけを考えて、「おもてなし」をするのだ。そのような精神に満たされた世界はどんなに素敵だろう。
授業では、お茶室が平和な空間として昔から大切にされてきたことも教わった。戦国時代、武将たちは身分や戦うことを一旦忘れ、お茶を通して心を落ち着かせ、互いに交流した。茶室の中では皆平等とされていたのだ。刀も鎧も全て外した。和服だけを身につけて、お茶会に参加した。茶室の入口は低い。身分が高い人も頭を下げて入らなければならないという意味を表す。みんなが同じ立場に立って、相手を認め、通じ合う場であり、そして何より、相手のことを想える場であった。そんな茶室の空間を世界全体で築き上げることが必要であると思った。
今年の八月六日のヒロシマでの平和式典で広島市長が言っていた言葉が未だ私の耳から離れない。「国家は自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」、「心に留めておくべきことは自分よりも他者の立場を重視する考え方を優先することである」。自分の考えを一歩下がって客観的に見てから、行動することが大切なのだ。
今の世界では、自分の国のことのみを中心的に考えている国が多々ある。そして、そのような考えにより、今も世界で戦争が起こっている。そこで私は国際連合が世界の「茶室」になってほしい。集会を始める前には参加者でお茶を飲むところから始めるのだ。この時に隣の人に「アフターユー」と言って、隣の人がお茶を飲んだ後に自分も飲む。国連の会議は円卓で行われているため、「アフターユー」は自分にも返ってくる。これらの一連の動作を行ってから話し合いをすると、少しは前より広い視野で物事を決められるのではなかろうか。
茶の心が世界に平和をもたらす。「アフターユー」。この言葉こそが世界を変える。